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□もの云わぬ月の誘惑(直江eyes)
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おや。
どうやら主の機嫌を損ねてしまったらしい。
睨みを効かせ無言の威圧。
が、よう慣れてきた直江は動じない。
次に来るであろう皮肉な言葉を待ち構えていると、
しかし予想に反し返ってきたのは小さな呟きだった。

「還る場所など、ない……」

「――っ」

直江は息をのんだ。
この主人が時折見せる隠された脆さ――。
小さな痛みが胸を刺す。
無意識に、景虎の頬へ片手を伸ばしていた。

「こんなに冷えてしまって……」

包み込むように掌を押しあてる。
景虎が、静かに目を閉じた。

「――あたたかい……」

微かな囁き。
そのくちびるをそっと親指でなぞった。
とてつもなく冷たいくちびるだ。

「…………」

「…………」

月明かりに照らされふたり、奇妙な沈黙(しじま)。

「………」

「………」

直江のもう片方の手もぬくもりを与えるに上がりかけたそのとき。
景虎が頬にあてられていた直江の掌を、冷えた指ではがした。
そして突如向けられた虎の瞳。
心臓が跳ねた。

「おまえにも人の体温があるのだな」

景虎は貫くような視線でそう告げると、「ふん」と身を翻しその場を立ち去った。







(なっ――)

なんなのだ。
人を血の通わぬ修羅かなにかのように……!
詰(なじ)ってやりたかったが、
その主(ぬし)はすでにぴしゃりと閉ざされた障子の向こう。
直江は屈辱に肩を震わせていたが、大きく一呼吸して気を鎮めた。
そして行き場を失ったおのが掌を見つめる。

(………)

景虎の頬に、指に、触れた箇所が――火傷を負ったようにジンジンと熱い。
去り行く背中がひどく寒そうだった。
氷のように冷たい肌だった。
ふいに呼び起こされる衝動――

(あの氷塊のような身体を、俺の熱で溶かせぬだろうか)

………――。

まいった。月に囚われたのやもしれぬ。
直江は首を振り、空を見上げた。
見よ、とばかりに輝く満月。

(ああ、そうか……)

今宵の月は、あなたの眼差しに似ている。
だから眩しい。
だから惹かれても直視できぬのだ。
おのれの弱さ、疚(やま)しさを暴かれそうで……。

(景虎様――)

負けじとねめつけるような視線を月へ投げつけ、直江は背を向けた。



オクビョウモノ――。



背後で、天の支配者が嗤った気がした。






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