sweets,Inc.
□Truffe Champagne
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“オオソウジ”というのは要するに、普段手が行き届かないような場所まで念入りに掃除して、清らかな新年を迎えましょうという、クラピカの後見人の故郷での風習らしい。
現に後見人と暮らしていた頃、大晦日は二人で家中を磨き上げるのが毎年の習わしだったと言う。
そんな小さく穏やかな思い出話にすら嫉妬心を煽られる俺の気も知らずに、クラピカは懸命に窓を磨く。
せめて俺だって、後見人と同じように、君と一緒に掃除がしたいと申し出てはみたものの、すぐに抱きついたりキスしたり邪魔ばかりするものだから、結局ソファの上に隔離されてしまった。
「そんなこと君がやらなくていいよ」
ただ俺のそばにいてくれたらそれだけで。
黒くくすんだ雑巾を洗うため、再び俺の前を横切るクラピカに、たまらず声をかけた。
エプロンの裾を揺らしてクラピカが、きょとんと立ち止まる。
俺達の予定を奪ったお詫びのつもりか、パクがクラピカに持たせたというエプロンは、普段ごくシンプルなものしか身につけないクラピカからは想像出来ないほどに愛らしく、たしかに俺のツボをきっちり押さえていて。
でもそんな魅惑のエプロン姿のクラピカを、ただ眺めていることしか出来ないなんて、蛇の生殺しもいいところだ。
「掃除なんてハウスキーパーに頼むからいいのに」
「…私が」
思いがけなく真剣な眼差しでみつめられてどきりと胸が鳴る。
「他のだれでもなく、私がお前のためにしたいのだ。
今年、クロロに出会って世界が変わった。
だから…そのほんのささやかなお礼を今日は私にさせてもらえないだろうか?
お前のように高価な贈り物が出来なくて申し訳ないけれど」
また君は。
肝心なことを言葉にするのが何より苦手で、いつも俺をじりじりさせるくせに。
そんなふうに、不意打ちで俺を世界一幸せな男にする。
「…駄目だろうか?」
「いや…駄目じゃない、駄目じゃないよ」
それだけ言うのが精一杯で。
ではもうしばらく大人しくしているように、と告げる君に俺はただ恭しく頷いて見せた。
「もうすぐ終わるからこれでも食べていろ。クロロが掃除に飽きてしまったら渡すようにと、パクが」
俺の従順な態度に満足した様子のクラピカが、子供にご褒美を与える母親みたいな仕草で俺に小さな紙袋を渡し、そのまま洗面所へと消えた。
ピエールマルコリーニのチョコレートか。
社長の好みをきちんと把握しているあたり、さすがと言うべきなのだろう。
でもなあ。
この上なく盛大でロマンチックなカウントダウンの代わりがチョコレートか。
まあ仕方ない。
クラピカもいなくなってしまって、手持ちぶさたに紙袋の中を覗くと、上品なモスグリーンの缶にメッセージカードが添えられているのが見えた。
ひらりと取り上げて広げるとパクの几帳面な字が並ぶ。
『社長、今回の件では大変なご迷惑をおかけして申し訳ありません』
まったくだ。
本当なら今頃、ホテルの部屋でゆったりくつろいだり、じゃれあったり、それ以上のことだって。
『そのお詫びと言ってはなんですが社長のお好きなチョコレートの限定品と、クラピカに似合いそうなエプロンを贈ります』
だからこんなんじゃ割に合わないんだよなあ。
…仕方ないけど。
仕方ないから繊細なチョコレートの一粒をつまんで口へ放りながら、最後の一文へ目を落とした。
『ちなみに今日のクラピカですが、エプロンと同シリーズのランジェリーを着けているはずです。
どうぞ素敵な大晦日をお過ごし下さい』
「どうした?パクのカードに何か書いてあったか?」
いつの間にか洗面所から出てきたクラピカが、チョコレートとカードを手に呆けている俺に小首をかしげる。
なめらかな光沢のある黒い生地にピンク色のパイピングが施され、下品になりすぎない程度にレースやリボンで飾られているエプロンが、やけになまめかしく見えて。
「いや、何でもない。何でもないけど、やっぱり俺も手伝うよ。もうちょっかい出したりしない。真面目に掃除するから」
さっさと終らせて、そして、ね。
こんな穏やかな、そして刺激的な大晦日も悪くない。
悪くないぞ。
end