sweets,Inc.

□red hearts
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ひんやりとした掌が、俺の汗ばんだ前髪を掻き分けて額に触れる。
「さっきより熱くなっている。随分上がってしまったな」
そう言ってすぐに離れようとするから、額の上の小さな手に力の入らない自分の手を重ねた。
「氷で冷やすから…」
「君の手がいい」
氷なんかじゃなくて。
「クロロ」
「君の手がいい」
うわ言みたいに繰り返すと、君は小さくため息をついて、もう片方の手で俺の右頬を包んでくれた。
冷たくて柔らかくてすごく気持ちいい。
君に触れてるだけで、あんなに酷かった目眩が少し和らいだ。


「…俺、どうしたの?」
「覚えていないのか?」
「うん…君と映画館に入った所まではなんとか…」
その後はどうしたんだったか。

やっと闇に馴染んだ目で君を見上げると、そこには初めて見る表情があった。
労りと不安がない交ぜになった、弱々しげに揺らめく瞳。
きゅっと結ばれた口元。

泣いているのかと思ってなめらかな頬に触れてみたけれど、そこに涙の跡はなかった。

「映画の最中にもたれかかって来たお前がひどく熱くて。意識も朦朧としていたし、急いでタクシーを拾ってここまで戻って来たのだ」
「そうだ…映画。あの映画、今日までだったじゃないか。途中で出ちゃったの?最後まで見られた?」
「何を言ってるんだ。意識がなくなるほど具合が悪かったのなら、無理に付き合ってくれる必要なんてなかったのに…」
語尾が小さく震えた。
「無理に付き合ってなんかないよ。ちょっと風邪気味かなって思ってたけど、映画館に入るまで本当に大したことなかったんだ」
まあ、週末の2連休を勝ち取るため、誰にも文句を言わせないようここ数日スケジュールを目一杯詰めてたけど。
それは内緒にしておいた方がよさそう、かな。
「…すまない」
「どうして君が謝るの」
「お前が私に会うためなら多少の無理をすることくらい知っていたのに」
うん。
多少じゃなくてどんな無理でもするよ。
「だから、私がもっと早くに気付くべきだったんだ。食欲がなかったり、繋いだ手がやけに温かかったり、気になる点は幾つもあったのだから」
廊下の明かりを反射して、君の瞳が水面みたいに光る。

そんなに哀しい顔をしないで。
君は何にも悪くない。
俺自身気付かずにいた不調のサインを、君は敏感に察して汲み取ってくれたじゃないか。
君に出逢う前はもっと滅茶苦茶な生活をしてて、こんなふうに体調を崩しても、解熱剤とアルコールで適当に誤魔化してたんだ。
だから大丈夫。

言いたいことはいっぱいあるのに、どれも上手く言葉にならなかった。


「水分を取った方がいい。少し体を起こせるか?」
君に支えてもらって上体を起こす。
「キッチンにあった果物を勝手に使ってしまったが…よかっただろうか?」
「うん。何でも好きなようにして」
口元に寄せらたグラスの中には、丁寧に搾った林檎の果汁が入っていた。
わずかに柑橘類の香りも。
俺の肩を支えるクラピカの指先も同じ香りに染まっていた。


グラスが傾いて、甘くて冷たい果汁が熱の隠った体の中に落ちて来る。
渇ききった体内がひたひたと満たされて。
それと同時に俺の意識も再び混濁して、ゆるやかに落ちて行った。

「ゆっくり眠るといい」
最後に優しい声と手が俺の頬を撫でた。
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