十人十色

□願望Paradox
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(−しまった)


思った時には遅かった。
既に相手は胸元に入り込み、自らの唇に同じそれを重ねようとした刹那だった。

(何故、こんなところに…)

目の端に映り込んだのは銀色の髪。
慌てて回廊の柱の影に隠れたその姿を、楊修は見逃さなかった。
彼がいるべき吏部から此処は遥かに遠い。なのに彼が居る理由は−…。

(おそらく、また迷ったんだろうな。仕方のない…)

楊修は半ば呆れながら、かつての愛弟子の悪癖に内心嘆息する。
そうこうする内に、腕の中の男−、今回の潜入先の情報源は積極的に唇を押し当ててくる。

潜入先でこういったことになるのはそう珍しいことではない。
存在感を消すことが得策なこともあれば、情報を引き出すために官吏や女官を誘惑するのも常套手段の一つ。仇敵である御史台とその辺は何ら変わらない。
あくまでも深く侵入りこまないのが鉄則だが。

(どうしたものかな…)

別に他人に見せ付ける趣味はない。上司であるなら尚更。
いつもなら軽い口付け程度までで、そこから先は話を聞いてから、と甘い言葉で言い逃れて目的を果たし、そのまま姿をくらますのだが…。

「んっ…!」

楊修は自ら角度を変えて再度唇を重ねると、相手の呼吸を奪うくらいの激しさでもって口付けを深くする。

「………!」

楊修は相手を責めながらも、少し離れた柱の影にいる彼が、この現場を見て息を呑むのを確かに感じた。

ふいに、心に点る昏い悦び。

そのまま楊修は相手の歯列をこじ開き、舌を侵入する。

「よ、楊…官吏」

口の隙間から切れ切れに洩れる相手の喘ぎ声。
わざと離れた彼にも聞こえるように仕向ける。

すると、柱の影に隠れた彼は静かに、しかし取り乱しているのは確実な様子で走り去って行った。


それを確認するやいなや、楊修は唇を解き、相手を胸元から放すと、何事もなかったようにいつもの仕事の流れに戻るのであった。



※ ※ ※
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