押花
□常磐
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嗚呼、願わずにいられない、――
厚い雲が月を隠すと貴陽の夜の闇は、ずしりとのし掛かる様に重い。
其の昊の下の藍家別邸、或る一室。
「愛してるよ、絳攸」
「……」
愛を紡ぐは、驚く程に澄んだ楽器の音色を思わせる透明感の声つき。
優雅な微笑を浮かべれば恋に堕ちる女は数多の高い鼻筋、薄い形の良い唇の涼しい面立ち。
其のどれをも兼ね備え持つ男…藍楸瑛の愛の囁きに、李絳攸は無反応を決め込む。
「そろそろ機嫌を直しておくれ」
「……」
最年少状元及第者として名高い青年は、趣があり且つ煌びやかな彩七家筆頭藍家の天井へ宛ても無く視線を投げている。
愁い帯びた左羽林軍将軍は、再度口を開く。
「釣れないねえ。私はこんなにも君に夢中なのに」
「……散々、好き勝手にした奴が何を謂う」
地を這う様な低い声が、薄く色付いた唇から漸く発せられた。
其の怒りに対し、楸瑛は苦笑を混じえ「理由を訊くなんて愚の骨頂だよ」と応える。
「全ては君の所為なのだから」
弧を描くは、闇夜よりも濃い深淵を覗かせる眸。
嗚呼、願わずにいられない、――
上質な寝台の上へ華奢な躯を無遠慮に預ける青年は、眉を寄せる不機嫌な表情すら妖艶で。
己と同性にも関わらず…
此の身と心を虜にした。
「私は君を愛しているよ」
口付ける唇の熱、跳ねる腰の艶めかしさ。
涙の膜を張り、煌めく美しい紫雷の眸。
己の名を必死に呼ぶ甘い声音、鼓膜を震わせる熱い吐息。
其の躯を欲に任せ組み敷いた事も数え切れぬ。
無理強いは趣味では無かった筈が、抱いても抱いても足りぬと渇望する。
「っ、だからって、無茶苦茶に抱きやがって…!」
彼の腰は鈍痛を伴い、明日の仕事に支障を来すのは必須。
頬を朱に染めながらも抗議する姿もいと可愛らしいと楸瑛は思う。
「責任ならとるよ。何時でも私のお嫁においで」
「常春め!」
嗚呼、願わずにいられない、此の愛情の常磐を。
甘さには程遠い、苛烈に過ぎる恋情に祝福を。