押花

□溢れる思いと身にあまる光栄
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目の前の男は武官だというのにやたらと優雅な動きをしていた。流れるような一つの動作でゆったりと芳しい茶を注ぎ…。

「??どうかした?絳攸」

「………なんでもない」

俺の視線に気付いたらしい男―楸瑛―はやたらと勘がいいので何かに気付いたのだけれど、そう、と一言だけ返すとかちゃと湯飲みを目の前においてとくに詮索はしてこなかった。こいつのこうゆう場を読む力が欲しいな…と思いながら。

「………」

茶器を持つ手をじっと見つめた。
―溢れる思いと身にあまる光栄―
その日紅家貴陽別邸に激震が走った。紅黎深がいつもの如く突拍子もないことを家人達に命令したわけではない。「絳攸の寝顔を100枚書いてこい」だとか影に命令したわけでもない。はたまた彼がこっそり作っていた「李絳攸の部屋」が何者かに荒らされていたわけでもなかった。さらに百合姫がいつもの聖母のような微笑で裏で色々したわけでもないのだ、念のため。むしろそんなこと今更過ぎて家人達は驚かない。紅家貴陽別邸にいけば心臓に毛が生えたように生半可なことでは動揺しないように強制的に人格改造されてしまう。しかしそれくらいに鍛えられた家人達であったが――

「今度の夕餉は私がつくりたいのですが……」

「!!!」

この言葉に聞いていた全員が固まった。紅黎深も持っていた湯飲みをうっかり落としてしまう。百合姫もあんぐりと口を開けたまま、箸からご飯粒がぽろぽろと落ちてしまった。家人達の何人かはその場で卒倒した。妙な沈黙がその場を支配する。あれ?何か悪いことをいったかな?一人事態を飲み込めていない李絳攸がもう一度、がしゃんと湯飲みを落としたまま微動だにしない養い親へ許可をもらおうと口を開いたときに。ようやっと百合姫が現実に戻ってくる。

「…………………絳攸」

「はい?なんでしょうか?」

「えぇっとその…………何をつくるといいました?」

「??夕餉……ですが」

「絳攸がですか?」

「はい」

「絳攸がつくるのですか?」

思わず二回もきいてしまった百合姫に李絳攸は不思議そうに首を捻りながらこくんと頷いた、瞬間、二人の間(ついでに家人達)に雷が落ちたかのような衝撃が走る。あの絳攸が夕餉…あの絳攸が夕餉…あの絳攸が夕餉!!!紅黎深は一言も口を開こうとはしなかった。実は密かに親馬鹿全開な彼は今までに李絳攸の作った料理を食べたことが何回もあるのだ。恐らく百合姫よりも多いだろう彼は

彼は実は一番の被害者だったのである。


そう、李絳攸は猛烈に料理がド下手だったのだ。


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