十人十色
□願望Paradox
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「こちらが今回の潜入先の監査結果です」
その日の夜半過ぎ。
楊修は何食わぬ顔で吏部侍室へと報告書類を持って足を運んだ。
「あ、ああ。お疲れ…、いや、ご苦労…だった、な」
「…まだ、私に敬語を出さないよう意識してるんですか?侍郎になってもう一年近く経つんですから、いい加減慣れて下さいよ」
「すまない…」
今は部下だが、かつての指導官に叱責されて、絳攸は条件反射で謝る。が、それさえも「ほら、謝らない」と注意されて絳攸はますます小さくなる。
その姿を見て楊修は思わず苦笑した。
「全く…。貴方はなかなか変わりませんね…」
その言葉に幾つもの意味を込めて。
「…悪かったな」
案の定、絳攸は気付かない。
まあ、まだ一年だ。元々すぐにどうこう出来るとは思っていなかったし、この件については長期戦でいくつもりだから、いい。
それよりも…。
「変わらない、と言えば…」
我ながら意地が悪いな、と思いつつ、楊修は言葉を告げる。
「今日、何故あんな所にいたんですか?」
「!!」
楊修の突然の指摘に、絳攸は筆を料紙の外に思いきり滑らせた。
「どうせまた迷っていたんでしょうが…」
慌てふためく絳攸の様子を面白そうに眺めながら、楊修は揶喩の言葉を続ける。
「覗き見は感心しませんね」
「!!あれはわざとじゃ…!」
「おや、やはり柱の影の人物は貴方だったんですか」
「……っ」
うまい具合に誘導されて正直に白状することになった絳攸は、己の迂闊さと、脳裏に甦った昼間の光景への羞恥に顔を朱に染める。
「おや、顔が赤いですよ李侍郎。貴方にはまだ刺激が強すぎましたかね?」
からかうように嗤いながら、楊修は俯いていた絳攸の顔を覗きこむ。
「こ、子供扱いするな!俺はただ…」
「ただ?」
その先の絳攸の返答を、楊修は面白そうに待つ。
しかし、返って来たのは思わぬ言葉だった。
「おまえ…いや、貴方があんなことをする必要はないと思っただけです」
「…!」
突如向けられた、真っ直ぐな菫色の眸から、楊修は目を離すことができなかった。
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