*キリ番天使様への捧げもの*
□『零れていく大切な物』
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ああ、また見えるんだ。
痛みとともにこの手のひらから零れていく大切な……モノが。
もう、あんたの事も、忘れちまうかもしれねぇな…。
* * * * * * * * * * *
マスタングは眉間にしわを寄せ大股で市街地を歩いていた。
「………」
アルフォンスから連絡を受けたのはほんの十数分前だ。
電話越しのアルフォンスの声は少し震えていて、それがエドワードにただならぬ事が起こっていることを表していた。だからこそ、マスタングはホークアイの、誰かに様子を見に行かせるからという助言を振り切って出てきた。正確には、どうしても自分が行かなければならないのだと、思ったのだ。
『大佐…!兄さんが……』
アルフォンスの電話の内容はそれだけだった。
鎧の姿の頃から変わらない良く通るアルフォンスの愛らしい声。それが今動揺と不安で掠れていたのを思い出すだけで、マスタングの胸は息が詰まりそうなほど激しく鼓動し、全容がわからないからなお、足は急いてもどかしく感じる。
車を出そうと申し出てくれたハボックの準備すら待つのがもどかしく彼を置いて軍部を出てきてしまった。
「大佐!大佐!!」
「………ハボック…」
「乗って下さい!」
「………」
追いついたハボックがマスタングの前に車を回りこませ、助手席のドアをバン、と開けた。
一瞬躊躇しながらも、やはり歩くよりは早いと思われる車に乗るしかなく、マスタングはドアを閉めながら「すまん」と一言、呟いた。
「宿は…?」
「この通りの突き当りを右に。そこからまた十字路を右に曲がって三軒目だ」
「アイ、サー」
軍部からは離れていて、ロイの自宅にはより近い場所。
そりゃまた随分と離れた場所に宿を取ったもんだなとハボックは思いながら、この人はそこまで歩いていくつもりだったのかと呆れた。
それほど、切羽詰っていたのも確かなのだろう。
「………」
「……」
無言で前方を見つめるマスタングに、ハボックは電話の内容を聞くべきか迷ったが、何か指示が必要であればこちら何も言わなくとも電光石火の如くまくしたてられるはずだから今は何も聞かないほうがいいのかもしれなかった。
「着きまし…たって、大佐!」
「お前は……アルフォンスの相手をしてやってくれ」
「え……」
少し取り乱しているようだから。
初めてエルリック兄弟の状況をちらとだけ口にし、マスタングは宿の入口へとコートをなびかせて歩き出す。
「……アルが?」
先ほどの電話はアルフォンスからだと聞いている。
とすれば何事かが起こったのは兄のエドワードのほうで、アルフォンスがマスタングに急を知らせてきたのか。
取り乱してる?アルフォンスが…?
とても信じられない事だが、エドワードの大事だとすればそれはあってもおかしくない。
「……」
ごく、と緊張の息をのみ、ハボックは車の鍵を掛けてマスタングの後を追った。
「アルフォンス」
「大佐……!!」
部屋のドアの前でへたり込んでいるアルフォンスにマスタングはより険しい表情を作り、しかしそれではアルフォンスをなお心配させてしまうだけだからと、大きく深呼吸をしてからアルフォンスの肩を優しく叩いた。
「大佐!兄さんが……」
「どうしたんだ?鋼のが怪我でもしたのか?病気かい?」
「わか、…わかんないんです…昨日あたりから急に」
「わからない…?」
マスタングに振り返ったアルフォンスはすがるようにマスタングの軍服を握り締めて今にも泣き出しそうな瞳と口元を震わせていた。
「アル……?」
「少尉!?」
マスタングに少し遅れて部屋の前に到着したハボックの姿を見ると、アルフォンスは堪えていた涙がぽろぽろと見開いた大きな瞳から零れていく。
「……ハボック」
「あ、…はい」
マスタングがアルフォンスがこちらの軍服をきつく握り締めている手をそっと放させ、駆け寄ってくるハボックへとバトンタッチする。
「……エドワード、私だ。マスタングだ。ドアを、…開けてくれ」
「鍵は…開けてもらいました。宿の人に…」
「そうか……」
鍵を掛けて閉じこもっているのかと思っていたからマスタングは一瞬だけほっとしてドアノブを回した。
「……っっ」
「大佐…?」
深くため息をついたマスタングがポケットから発火布を取り出すのを見て、後方の二人はエドワードが練成陣で新たな鍵をかけてしまっている事を悟る。