『番外*花町』
□『番外コネタ 其の三』
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花蝋燭は燃え尽きて
* * * *
「好きスキ好きスキすきぃ?」
エドワードが首を捻って蝋燭をくるくると振る。
「何言ってんだい?エドワード」
口にしている言葉とはまったく逆に嫌そうな口振りのエドワードに、側で髪をすいていた年増の雌猫が声を掛ける。
「ん〜…」
「どしたんだよぉ、ええ?」
後ろから覗き込むと、紫の花びらをくわえたエドワードがくり、と大きな瞳を開いてこちらを見上げた。
「………」
思わず彼女が瞬きをする程、エドワードのその仕草は愛らしくてどことなく艶っぽい飴色の瞳が長い睫毛に縁取られて甘い色を醸している。
どう見たって計算ずくでないあたりが忌々しい、とでも言うように年増は紅で熟れた口を歪めた。
「なんなのさ、それ」
「ふん〜…」
エドワードが広げているのは文のようで、はらはらと、エドワードがくわえているのと同じ花びらが畳に落ちた。
「その蝋燭、最近のあんたの旦那のじゃないの」
あんたの旦那。
エドワードがむしゃむしゃと花びらを口の中に噛み入れて、ふん、とそっぽを向いた。
「別に旦那じゃねぇよ」
「だぁってさ、ここ最近一番あんたのコト、独占してるじゃないか。身請け話、出てんじゃないのかい?」
羨ましそうにすり寄ってちょい、と文を取り上げる。
「ああんな良い男、いないよぉ?あたしだったら抱かれてるね、…とっくに」
クス、と笑う女のいやらしさにエドワードがぐい、と体をずらし姐猫が支えを失ってよろけた。
「ん、もう…っ。で、この恋文は、旦那からなのかい」
「違うよ」
「おや…」
思い切り驚いて雌猫が文を振り広げて読み始める。
エドワードは文に挟まれていたのと同じ紫の花びらが閉じ込められた滑らかで美しい蝋燭を指先で、すす、と撫でた。
白濁の細く長い蝋燭の中に濃い紫の花弁が舞い落ちる時を封じ込められ、今でも鮮やかに咲き誇っている。
確かに、この蝋燭はロイの店の物だった。
「………」
エドワードがロイから薫るそれはなんだ、と聞いたら、最近流行の花蝋燭だという。
ヒューズとロイが二人だけで完成させた、店きっての人気の品だ。
蝋燭の中に花から抽出した香の液を加え、形を整える際、香と同じ花弁を練り混む。蝋燭が溶けていくにつれ、一枚いちまいとその花弁が畳に落ちていく。
すべて溶けるとまるで花を散らしたように部屋を飾るため、町民から大奥まで、女子(おなご)の評判は瞬く間に広がり、最近では恋文を巻いて花と同じ色の布で結わえるのが流行となっていた。
そんな事も、実はヒューズがそこかしこで噂を振りまき、扇動しているらしい事をエドワードは知っていた。
あの二人は商いのいろはを超えて多才な面を見せる。
そんなところはエドワードの気を十分に引いた。だから、ロイがエドワードがのに入った香の花蝋燭――ロイが初めて店に来た時に香らせていた物――をたんまり贈ってきたのは捨てることなく毎夜部屋に灯していた。
「ふうん……。こりゃずいぶんとお熱い恋文だねぇ?隅におけないよぉ、子犬のくせに。おや、猫だっけ」
「む。どっちでもいいよ。…それに、さぁ」
「んん?」
エドワードはちゅ、と蝋燭に唇を当て、愛しそうに舌を出してぺろりとそれを舐めた。
「俺、これは好きだけど……贈ってくる奴にはぜ〜んぜん、興味ないから」
舌の先で蝋燭の先端まで辿り終えて、ちゅ、ともう一度、蝋燭に口付ける。
年増の猫は、エドワードの伏し目がちなその仕草に、はぁ、と吐息をついた。
彼女の見目も、たとえ江戸の町娘が束になったって敵わないしどけなさとあでを漂わせているというのに、思わずエドワードのそれに酔うて、ずく、と女の股座を疼かせた。
エドワード自身が気付かない色香は、そこらの町人や実直な旗本の嫡男を狂わせる。
オリヴィエに切って捨てられたたわけは十指に収まらず、不能になった者など数知れずだった。それでもエドワードの色華に吸い込まれる男は後を経たない。
どうにか耐えてエドワードを側に置いて酒を呑めるのは、容易な事ではなかった。
「あたしもこのくらい熱い恋文が欲しいよ」
はらりと文を畳に落とし、姐猫は口元に自嘲を浮かべた。
「ねぇさん、身請けの話あったじゃねぇか。あれ、どしたんだよ」
「うん―…」
蝋燭だけは懐にしまい、エドワードは物憂げに視線を落とす姐猫をちら、と見た。
何だかんだ言っている彼女だって、珍しく本気で惚れた客がいた。いつも惚れそうになったら自分からそいつを叩き出して身を守って来たのに、旗本の次男坊だというやさ男に心底惚れられて、彼女も毎夜毎夜その男の姿を待っていた。こちらが切なくなるほど想い合っているように見えたのに。
そう言えばここ数日、姿を見せていなかった。