金色のコルダ

□在り処
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「…野さん……日野さん?」
「……柚木…せんぱい…」


耳元で私を呼ぶ声に誘われて重い瞼をあげると、まるで私の鼻先を擽るようにして綺麗な紫苑の髪がさらりと流れてきた。
軽く息を吸い込むと目覚めたばかりの頭の芯を再びぼうーっとさせるような甘い香りが鼻孔を刺激して、私はまたうとうととあげたばかりの瞼を下ろしそうになる。

「こらこら、ダメだよ。もう下校時間はとっくに過ぎているんだから、眠くても頑張って起きなきゃ」

優しい声が、私を窘める。
夢の中とはまた違う心地良さに甘えそうになるけれど、私を窘める声はそれを許してはくれなかった。

「早く出ないと今度は先生方が見回りにくるかもしれないだろう?それとも…。…俺と二人じゃ物足りないとでも言うつもりか?」
「…っ!」

机に突っ伏す私の首筋を、細く長い…冷たい指が滑る。
その感触以上に私の背中をぞくりと震えあがらせた声に慌ててバッと顔を上げると、危うく声の主のおでこと私のおでこがぶつかりそうになってしまう。けれどどうやら動じているのは私だけのようで、私は無駄を承知で机を背にギリギリまで後退りぱくぱくと口を金魚のように動かした。

「ゆ、ゆゆゆ柚木先輩っ!?」
「いい度胸だな、日野。わざわざ俺をこんなところまで捜しにこさせるなんて」

お…怒ってる?

状況を把握出来ないまま口角を上げている先輩から咄嗟に目を背けると、壁のやや上にかかっている時計が自ずと視界に飛び込んできた。
先輩の言う通り時計の針はとっくに下校時間を過ぎた時刻をさしていて、次いで窓の外に目をやると表はすっかり日暮れ、遠くに運動部のコートを照らす照明だけが見える。

ここは……図書室?私、本を読んでいるうちにいつの間にか眠っちゃったんだ。…って、どうして私達以外図書委員も誰もいないわけ!?いや、誰もいないからこそ今この場で柚木先輩のもう一つの顔に直面しているわけで…。

「なにを一人でぶつくさ言ってるんだ?」
「い、いえ!なんでもないです!」

私の胸の内を見透かしたような柚木先輩の言葉に、私は両手を顔の横に上げぶんぶんと激しく首を横に振る。
そんな私を見て先輩は肩を竦めながら浅く息を吐き出し、漸く机の上から手を離して私との距離をとった。

「…まぁいい。それより日野、また随分と気持ちよさそうに寝ていたようだが、なにかいい夢でも見てたのか?」
「え…?」

寝顔…ひょっとして見られてた?
ううん、それよりいい夢って…

机を背凭れがわりにして椅子に座り込んだままの私を、正面に佇んだまま先輩が見下ろしてくる。
そっか。さっきのあれは夢だったんだ。


みんなが笑ってる夢。
あたたかくて楽しい夢。

けど……柚木先輩のいない夢。


「……日野?」

楽しかった夢の筈なのに、心から喜べない。
例え夢だとしても先輩がいない空間は、ぽっかりと胸に穴が空いたようにどこか冷たくて、とても淋しい場所だったから…――


「…すみませんでした、柚木先輩。私が眠ってしまったせいで、こんなところまで先輩にご足労をおかけしてしまって」

柚木先輩はきっと呆れてる。
今日は特別な日。その約束時間を破って、こんなところで暢気にみんなに囲まれる夢を見ていたなんて…

「意外だな。まさかお前の口からそんな言葉が聞けるとは思ってもみなかったよ」

素直に非を認めたご褒美、とでもいうのだろうか。
先輩の指がそっと私の髪に絡められ、その唇が優しく頬を掠める。それだけで私のひ弱な心臓は悲鳴をあげそうだというのに、きっと今のこの姿も柚木先輩を喜ばせるものになっているんだろうな。

「迎えにきたよ、お嬢様。俺を散々待たせた罰は、後でたっぷり返してもらうから覚悟しておけよ」
「…柚木…先輩」

くすくすと愉しげな声が耳元で囁かれ、私の顔をより一層紅潮させる。
とても恥ずかしくて居たたまれない気分なのに、この腕の中から逃げ出したくないのはなぜだろう…――?



「好きだよ、香穂子。俺だけの可愛いお姫様……」



そう。
私は“貴方”だけの為にここにいる。

「梓馬…さん…」


貴方だけが、私の心を満たしてくれる唯一の存在。
貴方だけの為に、私はここに在るのだから…――







Fin..
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