Cross of Fate
□第二章.始動
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辺りにたゆたうのは一面の星だった。いや、正確には星の‘ような’物。大小様々な大きさの瞬きが、柱もないこの暗い部屋を立体的に埋め尽くしている。
それらが夜空に煌めく星々と決定的に違うのは、その中に映像が写しだされている点だった。半径が一センチにも満たない球の中で、小さな何かが動いている。
豆粒のようなそれは、人。
正確には人型の何か。
彼らの共通点は、直立二足歩行を行っているという、ただ一点。ある者は長い耳が、またある者は捻れた角が、はたまたある者は異様に発達した鋭い爪が、それらのあるべき部分からこれみよがしに突き出ている。下界――地球では仮装としか思えないその奇抜な格好も、‘彼らの世界’ではそれが常識なのだった。
ここは『皇神宮』最奥部、“星観の間”。たゆたう星々は、神の意志に因る造形物、神威(カムイ)“ゼウス”。遠く離れた地を、空間、次元、概念の壁さえ突き破り映し出す神通の産物だ。天高くから見下ろすが如く死角というものを全く持たないそれは、冠する名に恥じない絶対的な支配者の目だった。
そんな、心許ない“ゼウス”の瞬きが唯一の光源である“星観の間”に、ぼう、と二つの影が浮かび上がる。
「お呼びでございますか、主」
その内の一つ、片膝を突き、うやうやしく頭を垂れるそれが、その出で立ちに勝るとも劣らない仰々しい声色で、星々が支配する静寂を打ち砕く。
しかし、その声は変声期を迎えたばかりの少年のそれ。平伏の姿勢、畏まった台詞、そのすべてが悲しいまでに似あわないため、見る者に何か芝居をしているかのようにさえ思わせる。その上、体型もそれほど大柄ではなく、線も細い。
「おう、来たか。わざわざ呼び付けて悪かったな」
その対面、数メートルほど離れた位置で立つ、主と呼ばれた中肉中背の青年が応える。
一応少年との会話、という形式を取ってはいるものの、その視線は彼の方ではなく、手近な星に注がれている。青年がそれを指で軽く小突くと、一瞬収縮した後、写る映像と共に、バスケットボール大の大きさまで膨れ上がる。ちょうど、体の一部に鱗のような物が張り付いている金髪の男女が、楽しそうに談笑を繰り広げていた。
「いいえ。滅相もございません。主にお仕えする事こそ私の勤めであり生き甲斐」
そんな自身の主人の様子を知ってか知らずか、少年は更に遜り、腰を折る。
「それで……私を呼び付けたご用件というのは?」
「ああ、そうだったな」
青年はもう一度“ゼウス”を小突いて大きさを元に戻し、軽く手で払う。それはまるで水面の浮草のように、ふらふらと頼りなく遠くへ漂って行った。
青年はそれを見届けると、今度こそ少年の方に目を移し、若さの中にも確とした威厳を兼ね備えた口ぶりで語りかける。
「貴様を呼び付けたのは他でもない。件の堕天使なんだが、漸く所在が掴めた。以前言った通り動いてほしいのだが……すぐに出れるか?」
「はい。いつ命じられても構わぬよう、準備を進めておりましたので」
部下の百点満点の答えに、青年はさも満足気に目を細め、しかしそれを気取られないよう短く鼻を鳴らす。
「ふん。貴様のことだ、今日俺に呼び付けられるのは分かっていたのだろう? まぁ、早急に動いてもらいたい案件ではあったしな。やはり貴様に頼んで正解だった」
「勿体なきお言葉」
「よし。それでは早速下界に向かってくれ。時間もあまりないようだ」
「はっ。仰せのままに」
瞬間、少年の姿が揺らぎ、掠れていく。それがこの“星観の間”、退出の合図だった。
そんな少年に一言、全幅の信頼を置くからこそ紡がれる主からの手向けの言葉が、口の端に浮かべた笑みと共に贈られる。
「期待しているぞ…………藤田波流」
もう一度、少年は更に低く頭を垂れる。
それは、あまりにも完璧過ぎる、忠実な部下としての姿だった。