HEAVEN
□とかく恋はままならぬ
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『啓太を困らせたりしたら、俺、すっ飛んで来ますから』
おどけたように竦められる肩。
『―――でも、こいつが淋しがったりしないように、見てやって下さいね』
勝手なことを言いますけどって。こんな時にも君が口にするのは啓太のことで。
僕はもやもやする心を持て余し、抱き締める腕に力を込めた。
・・・・・・・・・・
廊下をひとり歩く啓太を見つけた。後ろからこっそり近づき、抱きつく。
「ハニー!!」
「……あ、成瀬さん……」
だけど僕を迎えたのは、沈んだ声、沈んだ顔。それに何より―――
『何やってるんですか、成瀬さんっ!!』
すっかり聞き慣れてしまった声が、聞こえない。
おかしいよね。あんなに『邪魔しないで』って言い倒したのに、邪魔だったはずの子がいなくなると、堪らなくその声が聞きたくなるなんて。
「……淋しいかい?啓太」
軽く拘束していた腕を離すと、啓太は俯いてこくりと頷いた。その様子に、息苦しいほどの切なさを覚える。
完全に遠藤に心を囚われている目の前の子を慰めることすら出来ない、不甲斐ない自分に対するやるせなさだと思ってた。当の啓太に指摘されるまでは。
「早く、帰って来るといいよね」
「成瀬さん…?」
目を伏せる僕の頬に、驚いたような視線。
「なぁんだ、成瀬さんも淋しいんじゃないですか、和希がいなくて」
「え…?いや、僕は……」
「……気づいてないんですか?成瀬さん、あいつがいなくなってから俺に抱きつくこと減りましたよね?今みたいに抱きついてきたら、周りをきょろきょろ窺ってるし」
困ったような微笑みを浮かべ、彼は続ける。『和希を、待っているんでしょう?』って。
どくん、と一つ心臓が踊る。と同時に、初めてあの子を腕の中に抱えこんだ時のことを思い出した。
会計室前。驚きを隠しもしない啓太の顔が、彼が遠藤の休学を知ったのもたった今……僕たちと同じタイミングだったことを物語っている。
啓太の頭を優しく撫でる遠藤の表情が、何故か妙に儚げで。気がついたら僕は、遠藤と啓太、二人を抱き寄せていた。
啓太はともかく、激しい抵抗を予想していた遠藤もおとなしく僕の腕に収まっていて……。
「早く帰っておいでよ、遠藤」
犬猿とも言える僕の発言に、遠藤はくすくすと笑う。今まで啓太にしか見せなかった、柔らかい笑顔で。
「ほらね、成瀬さんが変なことを言うから、雨が降りそうになるんですよ」
鼓動を跳ね上げる僕には気づきもしない遠藤の言葉に、周囲からどっと笑いが起こる。
「ふぅん。じゃあいいのかい?遠藤がいない間に、啓太に迫り倒しちゃうからね!」
「啓太を困らせたりしたら、俺、すっ飛んで来ますから。―――でも、こいつが淋しがったりしないように、見てやって下さいね」
…ああ、本当に君は、大切な―――誰よりも大切な啓太の隣からいなくなるんだね…。
思わず強く抱き締めると、僅かに遠藤の身体が強張った。
驚かせちゃったかな、と顔を見ると、彼の視線は遠くに投げ掛けられていて。
丹羽会長の姿が、そこにあった。
「あ、王様!」
今気づきましたと言わんばかりに声を上げると、遠藤は小声で謝った。
「ごめんなさい、成瀬さん」
腕をそっと解き、彼はすり抜けるように僕から離れて行った。朗らかに言葉を交わすと、会長に強引に腕を取られ、引きずられるように去っていく。
つきんつきんと喪失感に痛む胸を気のせいだとごまかしながら、僕はその背中を見送った。
それっきり会えないなんて、思いもしないで。
「俺は、淋しいし、あいつに会いたいです。……成瀬さんは違うんですか?」
「僕…僕は……」
サミシイ。コエガキキタイ。…………アイタイ。
押さえ込もうとすればするほど、奔流となって荒れ狂う感情。どうしようもなく胸が痛んで、僕はシャツの胸をぎゅっと掴んだ。
「ごめんよ、啓太。僕も会いたい。会いたいんだ」
「俺は、分かってましたよ。成瀬さん、和希との口喧嘩、楽しんでたでしょう?」
謝罪の意味を正確に汲み取って、啓太は僕の背に手を回した。ぽんぽんと叩かれ、僕も啓太を抱き締める。
だけどそれは、もう甘い感情の伴うものじゃない。傷の舐め合いっていうと言葉が悪いけど、将にそれ。
「遠藤、早く帰っておいで」
「ちゃんと戻って来いよな、和希」
厳密に言うと、僕たちの遠藤に対する気持ちの間には、ちょっとした乖離があるだろうけど。ただ待つことしか出来ないところは同じ。
淋しさを埋めるように、僕と啓太は、暫く抱き合っていた。
ほら、啓太が僕と抱き合っちゃってるんだよ……?早く、すっ飛んで帰って来なくちゃ。ねぇ、遠藤……?
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