Secret Garden  捧げ物と戴き物

□乱
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自分の、昌親の腕の中にすっぽりと納まって、甘え潤んだ瞳で見上げて来る紫苑。何かを言い掛けて止めたような微かに開いた唇、声にならないその様子が昌親の猫である彼には良く似合う。久しぶりに会いに来てくれた飼い主である自分に全身で縋り甘えてくる仕草が可愛くて、昌親は彼を抱き締めてその柔らかい髪から背中に掛けて何度も撫でてやっていた。その感触が心地よいのか、紫苑は益々強く身を擦り寄せて来る。今にもゴロゴロと咽喉を慣らしそうな上機嫌な猫。自分を盲信しきったその仕草に、昌親の胸にふと悪戯心が芽生えた。彼を撫でていた手を戻し、自分の裸の胸元に頭を擦り寄せている紫苑の顎を掬う。自分の指先に全く逆らわず上げられる顔。口付けを与えて貰えると信じているのか浅く閉じられた瞳。浅ましくねだる唇には望みを与えてやらずに、昌親は彼の名前を呼んだ。
「紫苑。」
「……?はい。」
期待ハズレだったのか、昌親の猫はやや不満げに瞳を開ける。未だ濡れたままの、アメシストの輝きを放つそれ。
「ねえ紫苑。私の命令を聞いて貰えますか?」
「命令、ですか?」
投げ掛けて貰えるはずだったkiss、それは優しい言葉ではなく不穏な問い掛けに覆われて、紫苑の眉根が不安気に顰められる。彼は自分が昌親の物だと決めているが、その昌親は今まで紫苑に〈命令〉はした事が無い。お願いなら何度かされた事はあるが、命令と言われた事は彼と知り合ってから紫苑には一度もないのだ。情交の睦言に思わぬ問いを投げ掛けられて、紫苑はほんの少しだけ迷ったように瞬きをしたが、やがて顎を掬われたまま浅く頷いた。
「はい何なりと、昌親様。」
「そう、いいこですね。」
掬われていた顎から喉元に掛けて昌親の指先が往復して滑る。猫を愛撫するようなその行為は、どちらかと言うと紫苑より昌親のお気に入りだ。紫苑は昌親が自分にしてくれる行為なら今まで拒否した事など無いのだが。
「私の取引先に貴男のような綺麗な猫を、お好みの方々がおられるのですが。」
ぴくっ
全身で昌親の言葉を聞き逃すまいとしていた紫苑の躰に細波が走る。不穏な言葉にアメシストの瞳も揺れた。それらに一切気付かないフリをして、昌親は紫苑を撫でながら話を続ける。
「私の為にその人達の元に行って貰えますか?」
昌親の最初の言葉で予測は出来ていたであろうが、自分の認めた昌親以外の男達に身を任せてくれないか?との飼い主の命令に、紫苑の瞳が大きく瞠かれる。山桜色の唇が何かを訴えたいかのようにわなないた。

さて、どう出ますか?

昌親は自分の腕の中に留まりながらも小さく震えている紫苑を興味深く見守る。昌親の取引先に、その手の趣味を持つ男達がいるのは事実だ。そして紫苑なら彼らの金満家特有の歪んだ欲望を、ほぼ確実に満足させられるであろう事も。彼は極上の肢体と味を持つ猫。今まで昌親が秘匿し続けていただけで、元の生業に似た男達に身を任せる〈業務〉に着いたなら、忽ち何人もの買主達を陥落させるはずだ。紫苑がそれを望まなくとも。

「一つ、お伺いしても、宜しいですか?」
「どうぞ。」
先程とは違った意味で言葉を無くしていた紫苑が、ようやっととでも言うかの如く途切れ途切れに質問を絞り出す。昌親は優しい笑みを絶やさずにそれに応じた。
「私が、その命令に従った後には、又、昌親様の元に戻って来る事は、出来ますか?」
凝っと、縋るように自分を昌親を見つめてくる深い紫水晶の瞳。揺らめいて今にも涙を溢しそうなほどに潤んでいる大きなそれ。「嘘だと言って。」と訴えて来る。「貴男の意志で私を他の誰かに渡すなどと、嘘だと。」唇より遥かに正直な瞳。
「いいえ。」
声にならない紫苑の訴えを、常とかわらぬ昌親の優しい声での否定が打ち砕く。その言葉を聞いたと同時に 紫苑の瞠かれたままの瞳から、大きな涙が一粒零れ落ちた。彼はそのまま声を出さずに大きく首を横に振って、昌親の躰に回したままの手に力を籠めた。離さないでと訴えて。捨てないでと願うかのように。

私が貴男の為に他の誰かに抱かれたら、貴男は私を嫌いになるのですか?二度と迎えてはくれないのですか?

「泣かないで下さい、紫苑。」
「い、や。」
残酷なまでに優しいままの自分を呼ぶ昌親の声に、紫苑は夢中で彼に縋り付く。物分かりよく「何なりと。」と返答した事が嘘だったように狂ったように体中でNOを示した。
「いや、嫌、嫌! 貴男の益になるのなら他の誰かの元へ行けとの御命令にも従います。それでも、それでも貴男とお別れするのは嫌! 」
「そう。」
自分の指から逃げてしまって胸元に顔を埋めて泣きじゃくる紫苑の髪を、昌親は優しく撫でる。こんな時でもその感触に震える自分の心が、紫苑は口惜しくてならなかった。自分を拾って優しくしてくれた彼の役に立てるのなら、己の身がどうなろうと紫苑は構わない。けれど本当は、昌親の利益になるとしても紫苑は昌親以外の誰にも抱かれたくなどないし、彼の側を離れたくもないのだ。少なくとも、今は。
ぼろぼろと大粒の涙を溢しながら泣き喚き、自分に縋りついて必死に哀願する紫苑を昌親は同じくらい強く抱き締め返す。そして変わらず優しい声で囁いた。
「そう、そうやって断って良いのですよ。尤も今の話は嘘ですが。」
「いや!…は?う、そ?」
昌親の言葉に暫くしてから気付いた紫苑は、泣き喚く事を止めてゆっくりと顔を上げる。涙でくしゃくしゃになったその顔に、昌親の笑顔が重なった。触れるだけの優しいKissを何度か紫苑の唇に送ってから、昌親は呆気に取られたような表情のままの紫苑に、にっこりと微笑みかける。優しいがひどく狡い瞳で。
「ええ、嘘です。私が貴方に私以外の誰かに身を任せて下さいとお願いしたら、貴方がどんな反応をするか知りたかったもので。」
「……。」
「私は貴方が思っているより遥かに嫉妬深いんですよ?他の誰かに貴方を見せるだけでも嫌なのに、貴方を誰かに渡したりするものですか。」
「…良かった。」
「は?」
楽しそうにクスクスと笑いながら、ひどい嘘を付いたとさらりと告白した男を紫苑はベッドへと押し倒す。優勢から劣勢へ。昌親は自分の躰を押さえつけるようにして重なって来る紫苑に言い訳を続けようとしていたらしいが、その唇は紫苑の噛み付くような口付けで塞がれた。猫は嘘吐きな飼い主の唇に散々に噛み付いて自分が満足行くまでそれを食べ尽くしてから、彼の胸元に頭を乗せる。それから小さく呟いた。
「良かった、私に飽きてしまわれたのではないのですね?」
「真逆、貴方こそ私に飽きたりしないで下さいね?私の猫。ところで紫苑、私は貴方を騙そうとした訳なのですが、怒ったりしないのですか?」
「そうして欲しいのならして差し上げますが?」
結構です、と囁き返して昌親は自分の躰の上に乗ったままの紫苑の裸の背に手を回す。応えるように紫苑の腕は昌親の首に回された。

だってね、何時も何時も私ばかりが貴方に乱され惑わされているようで、少しばかり口惜しかったんですよ?


end

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