Secret Garden  捧げ物と戴き物

□オモイノママ
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部屋の隅に積み上げられた沢山の段ボールと、それと比例するように広くなった部屋を認めて、窓際に佇む太裳は溜息を付いた。

行って、しまわれる。

通りすがりの春の陽光が、サッシに溜まった僅かな埃を照らしだす。三月の頭としては比較的暖かい今日の日和りは、行楽や引っ越しなど予定している者達を大きく安堵させる事だろう。

どうせこちらにはあまり戻って来ないから。

先程まで太裳も包まっていた柔らかい布団に、今は一人埋もれるようにして眠っているその人は、荷造りを手伝った太裳にそう言った。
お気に入りの物は全て持っていくのだと、今その身を包む布団も毎日使っていた愛用の青磁の珈琲カップも、全て新しい生活拠点に移動させると太裳はその人から聞いていたのだ。

私は

視線を転じれば少し開けたサッシの外には美しく整えられた和風庭園。盛りを過ぎた梅の花がそれでも尚馥郁たる香りを放ち、その庭園の冬の女王として君臨せるのも太裳には見慣れた光景だった。梅の後には桃が咲き、桜が零れ、藤が揺れる華麗な庭園。毎年繰り返されるその花々の宴の中には今年から、太裳の愛しいひとはいなくなる。
仕方がないのだ。
安倍一族の嫡流に近い男は高校までを都内で過ごし、その後少なくとも大学卒業に至るまでは京都に住むという習い。安倍は元々京都に本拠を置く一族だ。現在の当主が若くして東京に移ったものの、あくまでも一族の基盤は京都にある。
今もそれぞれの子供達と共に、当主の長男夫妻は元々の地盤を守り京都に、次男夫妻が当主の居住する東京にあるのだ。二つの都を押さえ守るにはその体制は適しているかもしれないが、その為に東西を行き来しなければならない者達にとっては、少々迷惑な遣り方かもしれなかった。
太裳は現当主晴明の式神。主の命令がなければ、決った場所での待機か、主の側を離れる事は許されない。だから彼は晴明の孫の一人である恋人成親と一緒に、京都に行く事は出来ないのだ。
爛漫と咲き零れる冬の女王梅花。
成親の部屋の前にあるものは白、紅、絞りと一本の木に三色以上の花が咲く珍しい品種であり、名称は。
「……寒いな。」
ほんの少しだけカーテンとサッシを開けて、ぼんやりと梅を見つめていた太裳は背後からの不機嫌そうな声に驚いて振り返る。先程まで布団に包まり安らかな寝息をたてていたはずの人は、寝起きの悪さそのものに布団から上半身を起こして乱暴に頭を掻いていた。太裳は窓を絞め、慌てて彼の側に戻る。
「おはようございます、成親様。申し訳ありません、起こしてしまいましたか?」
「あぁ?まぁ大丈夫だ。ところで何をしていた?家の庭など見飽きているだろうに?」
「梅を。」
まだ不機嫌そうな声で訊ねる成親の裸の上半身に、脱ぎ捨ててあったパジャマを拾い着せかけてやりながら、太裳は唇に嘘を乗せる。

いいえ、今日からその庭は私には見慣れぬ場所になるのです、だってその風景の中に何時も一緒だった貴方がいない。

本音を忍し殺して。

「梅を見ておりました。今年はもう終わりだな、と。」
「梅?ああ、あれか。あの白梅紅梅が一緒に咲く。何だっけ?」
「偲いの儘(オモイノママ)、です。」
接ぎ木せずに二色以上の花を咲かせるその珍しい梅の品種の名称を訊ねる成親に、太裳は微笑んでその梅花の名前を教える。まだ彼が幼かった頃は色々と疑問に答えてやったが、こうして彼に教えてやるのもこれが最後かもしれないと淋しく自覚した。
成親は昼にはこの家を去る。それからは京都で新しい生活を送るのだ。太裳を置いて。
「オモイノママか。毎年思っていたがあれはお前に似ているな。」
「私、に?あっ 。」
かろうじて淋しさを訴えずにいる太裳の躰を、成親はまだ大半は布団の中にある自分の腕の中に抱えこむ。
太裳のかろく羽織っていただけの上着を落として、その肌を露出させた。白い躰の其処此処に赤い印がちりばめられた様は、夕べの激しい情交を思わせると同時に、紅梅白梅入り咲き乱れる彼の花(かのはな)を思い出させぬ物でもない。
寒さと誘惑に喘ぐ太裳の喉元に、成親は新たな紅梅を咲かせてから囁いた。
「白い中に赤い花が混じり咲くだろう?良い香りがするところもお前に似ていると思っていた。」
「ん、成親、様。」
これが最後の情交かもしれないと思える太裳は、強引な誘いにも歯向かわない。愛しい男の濡れた艶放つ黒髪に優しくその指滑らせる。
「偲いの儘、咲き誇れと?」
「少し違うな。オモイノママ咲き乱れ、だ。俺の前ではな。」
慣れた男の香りに包まれながら、太裳は少しだけ微笑んで成親の言葉に首肯する。
その言霊を与えて貰えるのなら、貴方に逢えなくなってもその花の下で待ちましょう、と。何時か貴方が気紛れに私の元を訪って新しい赤い花を与えてくれる事を、夢見て待ち続けましょう。

成親の唇を自分から塞ぎながら太裳は密やかに誓った。その哀しい思いは成親があっさり唇を逃がす事で益々強くなったが。
「今日はこれから忙しくなるからな。続きは夜にしてやる。」
「え?夜には貴方は京都におられるのですよ?私は。」
「それは冷たいぞ、太裳。俺を一人で行かせるつもりだったのか?」
「ですが、私は何も命を受けてはおりません。」
「はぁ?あのな、お前は俺の守護将だろうが。俺から離れてどうするんだ?爺様もそう思ってるからわざわざ命じ直さないんだろう?大体お前がいなければ俺は三日で干からびるぞ、色んな意味で。」
「では、私は成親様にお供出来るのですか?」
「当然だろう?嫌だと言っても連れて行く。」
照れくさそうだがはっきりと太裳を同行すると断言した成親の言の葉に、太裳の何処か淋しそうだった紫苑の瞳が、みるみるうちに喜色に染め上げられる。彼は怪訝そうに自分を見つめる愛しい人の躰に、腕を回し強く抱きついた。そのまま、離れなくても良いと言ってくれた男の胸に顔を埋め瞳を閉じる。
お預けだと言ったのに積極的に甘えてくる恋人を、成親は少し困ったように受け止める。けれど逆らえるはずもなく、感じるままその躰に指を滑らせた。この場所を発たねばならない昼にはまだ、余裕があるのだから。

そうして来年もその翌年も、成親の梅花は彼の側でその思いのまま花を咲かせる事だろう。
紅、白、艶やかに入り乱れ、淫らに咲き誇り。
偲い乱れるまま。


end

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