Secret Garden  捧げ物と戴き物

□These Dreams 1
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ちりん…
幻聴かな?と昌親はPC画面から顔をあげる。それとも自分が最近飼い始めた猫が来たのかなと思い直して、複雑な図形や細かい文字で飾られた、見ていてちっとも楽しくない画面のPCの前から立ち上がった。彼が最近拾った〈猫〉は仕事の邪魔は決してしない。むしろ、それを手伝ってくれたり家事全般をまかなってくれる、かなり出来の良い〈猫〉だ。
その代わり、あまりにも構ってやらないと、拗ねる。それはもう徹底的に拗ねる。仕事が忙しかったのと家庭の事もあって昌親が一週間以上、このマンションを訪ねなかったら最初は入れて貰えなかった。平謝りしてやっと鍵を開けてくれたと思ったら、触られる事を拒むし、挙げ句の果ては…二階から飛び下りた。後で仲直りしてから昌親に素直に抱っこされてくれた〈猫〉は
「下が土でしたから。」
と、飛び下りた事を何でもないようにさらっと言い放ったが昌親は気が気では無かったのだ。飼ってみて初めて知ったが確かにその〈猫〉は平均値より遥かに高いであろう運動能力 を持っていたが、〈猫〉が自分から逃げて宙に身を踊らせた時には昌親は心臓が止まると思った程驚愕したのである。尤も、その10秒後にはその時は何も埋められていない花壇の黒土に優雅とも言える仕草で着地して、のんびり自分に手を振る〈猫〉を見て昌親は腰が砕けて座り込んだ訳だが。
以降、このマンションのベランダには転落防止には少々高い柵が取り付けられた。基本的に〈猫〉の自由を奪う事はしない昌親だったが、流石にあれは心臓と心に悪かった。二階とは言え、結構な高さがある訳だし、そんなところから飛び下りて逃げたい程自分が嫌いなのかと思ったからだ。但しそれも〈猫〉に言わせると
「少し困らせたかったので。」
という事らしいが。
まぁ拗ねさせさえしなければ、いや、喩え拗ねても昌親にとってはその〈猫〉が何より一番大事で可愛かったのだが。
自分が許可しなければ掃除の時以外は決して〈猫〉が入って来ない書斎を昌親は出る事に決める。先ほどの鈴の音の正体も確かめたくてドアを開け、廊下に出ようとした、ら。
「紫苑。」
彼の〈猫〉がドアが開いたらすぐに分かるようなその左側に丸まっていた。何時からそこにいたのかは知れないが、お気に入りのクッションを幾つも持ち込んで自分の躰の下に敷いて、更にこれも又お気に入りの毛布を肩まで被っている。すっかり長期戦の構えだ。昌親は苦笑して蹲み、彼の躰を揺すった。
「紫苑、起きて下さい、紫苑。」
「ん…」
「紫苑?こんなところで寝たら風邪をひきますよ?」
「んん。」
昌親が揺すっても、毛布を多少ずらしても起きる気配は無い。彼の首に巻かれたしろがねの鎖の先に付いた銀の鈴が先程昌親が聞いたのと同じ音を奏でた。
ちりん ちりりん
軽やかな銀鈴(ぎんれい)の音。昌親は自分が紫苑の側にいる時には必ず〈猫〉紫苑の首か足首に銀鈴の付いた鎖を巻く。それが唯一、昌親が紫苑に対して強制する事で他には何一つ彼はこの〈猫〉世間の呼称で言ったら〈愛人〉に強制しなかった。衣食住殆んどの面倒を見ながらも、だ。
紫苑も別にそれに文句は言わない。どちらかと言えばもっと色々縛って欲しそうな素振りさえ見せる。昌親がこのマンションから自宅へ戻ってしまう時には、来た時に巻いた鈴付きの鎖を解いてくれるのだが、それを解かれる事を紫苑が拒む時もあった。
今、彼が付けている鎖もそれで一週間近く会っていなかった昌親が前回に巻いてやったものだからもう一月以上彼の首を飾っている事になる。少々特殊なデザインの留め金のそれは一人では絶対に外せない。鍵が付いているようなものなのに、前回の紫苑は昌親が帰宅する時にそれを外す事を断ったのだから。
「今度おいでになって、それからお帰りになる時に外して貰います。」
淋しそうにそう言った彼が気になって、昌親は一週間と空けずに再び彼の元を訪れた訳だが。そうして無理をして訪ねた為に仕事が山積して身動きが取れず、昌親は此処に来た早々書斎に立て籠もるしかないという本末転倒な羽目に陥ったのだ。昌親は「仕事があるから」と自分が閉じ籠もってしまった時に紫苑がどんな顔をしていたか覚えていない。只、自分が訪れた時にドアを開けて嬉しそうに迎えいれてくれた彼を抱きしめて柔らかい青磁の髪を義務的に撫でてやったくらいしか記憶に無い。後は仕事しながらでも食べられるような軽食を何度もタイミング良く届けてくれたな、くらいしか覚えていないのだ。書斎と名付けたこの部屋はベッドルームに繋がっていて其処からは廊下に出る事なくトイレやバスルームに行ける。だから、食事を差し入れられていた昌親は何の不自由を感じる事なく仕事に没頭出来た訳だし、仮眠を取る事も出来た。ベッドルームに紫苑がいる、とも思っていたような気もするが、何分仮眠を取る時間が不定期だった為、其処に紫苑がいなくても仕事に没頭して疲れきっていた昌親はあまり疑問に思わなかったのだ。その場所で一度も紫苑を見かけなかったというのに。
一体私は何日彼を放っておいた?と昌親は部屋の前で毛布に包まって寝ている紫苑を抱き上げながら自問自答する。温かい食事どころか、私が使う度に綺麗にメイクされていたベッドや、バスルームに用意されていた着替えは誰がそうしてくれた? 抱き上げて、ようやっとはっきり見つめた紫苑の顔。その頬に涙の痕を認めて昌親は自分が彼に甘え過ぎていた事を自覚せざるを得ない。彼を此処に閉じ込めたのは自分。
「何時出ていっても構わないですよ。」と物分かりよく言って合鍵を渡していたが、もし紫苑が出ていったら昌親は全力で探し追って彼を捕まえ、連れ戻しただろう。「私がいない時には自由に外出でもバイトでもして構いません。」そうも 言ったがわざと彼を訪ねる時間を不定期にしていたし、身元のはっきりしない紫苑がまともな職につけないのを分かっていたからこその発言でもあったのだ。
自分は本当に狡いなと昌親は自覚して、多分ずっと扉が開くのを待っていたらしい紫苑の柔らかい青磁の髪を撫でる。そうして彼を優しい牢獄に閉じ込めて、自分の感情で昌親は、彼を独占して飼い殺そうとしているのだ。
紫苑のお気に入りの寛ぎ場所はリビングの陽の当たる窓際の一角にある。彼はそこに沢山のクッションを集めて本物の猫のようにカーテン越しの柔らかい日射しの中で眠るのが好きなようだった。昼間はまだしも夜は其処で眠ったら寒いし淋しいであろうに、昌親がベッドルームで紫苑を一度も見かけなかったという事は彼はその場所か、この廊下。昌親が仕事が終われば足を運ぶリビングに繋がるその場所、書斎から出てくれば、すぐに分かる其処でじっと昌親を待っていたのだろう。
りん
「昌親さ…ま?お仕事は、終わりました?」
昌親が暫くそうして抱き締めて髪を撫でていると紫苑がやっと目を開ける。自分を見つめる素晴らしい紫水晶の瞳もどことなく濁っているように昌親には見えた。
「いいえ、まだです。」
「そう、ですか。お疲れになったでしょう?空腹ではありませんか?何かお作りしましょうか?」
「そうですね、どうもお腹が空くな、と思っていたら貴男を食べるのを忘れていました。」
「え?あの、お仕事は?」
「空腹で捗りません。紫苑さんは空腹では無いのですか?」
りりん…
強く抱き締められ首筋に唇を押し付けられて紫苑が軽く身を震わせる。彼は昌親の言葉が何を意味するか悟ってその躰に自分から手を回した。愛人の瞳がやっと自分を写し認めてくれた事が嬉しくて甘えて彼に縋りつく。
「はい、お腹が減って倒れそうです。」
「気付くのが遅くてすいませんでした。いらっしゃい、食事にしましょう。」
二人の唇が重なりあい昌親は紫苑を抱き上げたまま寝室へ連れて行った。
その日以降、昌親は書斎で仕事をする時にも紫苑を部屋の隅か自分の傍らに置くようになったのである。何時も自分の愛猫の銀鈴の音が幻聴ではなく側で聞こえているようにと、彼も自分も寂しくないようにとしてとった昌親の新しいライフスタイルであった。彼の〈猫〉がそれに全く反対せず、どちらかといえば幸せそうに昌親の側で寛いでいたのは付け足すまでもない事実だろう。

Fin
 

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