図書

□君に捧ぐは無意識の
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安倍家を喩えたら首都圏が相応しいかもしれない。昼と夜とで人口密度の差が激しい。人間たちは学校だったり仕事だったりするし、露樹は神将たちがいるので、と時々羽を伸ばしにどこかへ遊びに行っている時がある。神将も仕事を持っている面子はそれに行っているし、その他の過ごし方は様々であるものの家の中に籠っているわけではない。突き抜けるような青空の小春日和ならなおさらだ。
 それは今日と言う日、に多少ならずも原因はあるだろうが。
 とりあえず、平日の昼間、特に午前中は、夜と比べれば安倍家は過疎るのだ。

 そんな状態だから「五月蝿い」など思うはずもない。すっかり主夫業が板についた紅蓮がそれなりに忙しそうな音が聞こえてくるものの、手伝えという要望がこないので放っている。
 何気にさらりと酷いかもしれない決断を下して、勾陣は読書で時間を潰していた。
 最近は人型でいる時間が長い。暇を持て余すというのはそれなりに贅沢なことだし、本を読むにはうってつけだ。それにも飽きたら紅蓮をからかってやればいい。あれの反応は予想を裏切らなくて逐一面白い。
 やがてその音も聞こえてこなくなった。一息ついたのだろう。
 そんなことを意識の片隅の方で考えながら、彼女は活字を追っていく。あと少しでラストだ。
 気配が近づいてきているような気もするが呼びかけはないので無視してページを繰る。至近距離に紅蓮がいるのを視界の端で認めた。向こうは何も言ってこない。
 最後の一行を読み終えたとほぼ同時に、座卓の上に何かが置かれた音がした。

「……?」

 自分宛てだとは思ったが心当たりがない。置かれたそれを一瞥した後本を閉じ傍らに置いて紅蓮を見やった。物言いたげな目をしている、ような気がする。
 加えて、どこか緊張しているような色が見えた。
 再び置かれた物に視線をやった。自分の掌よりやや大きい程度の小さめの直方体で、シンプルなラッピングがしてある。青に近い藍色で落ち着いた印象を受ける。変に華々しくないところは勾陣の好みだった。
 紅蓮の目。置かれた物。それから―――今日の日付。すべての情報が結ばれて、ああ、と納得した声が出た。

「…騰蛇、これは何だ」
「……見て分からないか。むしろさっき何か納得してなかったか」
「悪いな分からん。多分気のせいだ」

 直方体の物体を指さして考えもせずに完全な棒読み口調での即答。しれっと言ってのけた勾陣はどこからどう見てもどう贔屓目に考えても悪びれているとは思えない。加えてその直方体が『何』なのかを既に悟っていることがありありと分かる。証拠に余裕綽々とした微笑が口元に乗っている。
 誰が見たって、「面白がっているな」の決断を下すことは明白だ。
 それに察しが当たっていようが外れていようが、どうせ知ることになるのだからそんなものは関係なく、だったら推察など労力の無駄である。というのが彼女の持論だ。ある意味酷い。
 一瞬どこか遠くを見た紅蓮は瞬きを二回した後で訊いた。

「勾、今日は世間一般で何と言う日だったか」
「二月十四日、いわゆるバレンタインデー、だろう。キリスト教で殉教した聖バレンタインの祭日、兼、それに便乗した製菓会社やら何やらの策略が渦巻く日。イベントの内容のせいで男女を問わず特に若者が浮足立っ…、……騰蛇? どうした、まるで何かに打ちひしがれたような」
「……お前な………!」

 ような、ではなくがくりと肩を落として紅蓮は現実に打ちひしがれている感を漂わせている。どこから突っ込んでいいのか悩んで結局答えが見つからないらしい。
 この反応を見越しての受け答えだったので、そうこなくてはな、とあからさまに面白がっている勾陣は喉の奥で小さく笑った。扱いが楽でいい、期待を裏切らないので面白い。

「彰子嬢も手作りを昌浩に渡すらしいな。…ああ、そう言えば六合がまた大量に貰ってきそうだ。もらって困ると言うのは世の男どもからすれば贅沢な悩み」
「勾、待て、ちょっと待て。話がすり替わってる」
「なんだ、ようやく立ち直ったか」
「誰のせいだ誰の!」
「さて、な? お前は誰のせいだと思う、言ってみろ」

 紅蓮は一瞬物言いたげに勾陣を見た。薄い微笑で見上げられ慄いたようにひきつった顔になる。

「そ、……れはそれとして、」

 強引すぎる話題変換は状況の絶対的不利の改善と話を元に戻すためだろう。もう少し上手くやれないのか、と思うが、手際の悪さは昔から変わっていないので今更無理だろうとも思っている。

「なんだ?」

 呆れながらも勾陣はそれに乗ってやることにした。

「……というか、お前そこまで色々知ってるのならこのイベントのもともとのかたちだって当然知ってるだろう」
「もともとの、かどうかは知らんが。欧米の方がどうかなら知っているぞ。男性が女性に贈る場合も多いらしいな。それで贈り物の内容も様々だとか。むしろチョコレート一色に染まる日本の方が極端と言うべきか。……で? それがどうしたと言うんだ」

 ソファに座ったまま腕を組み、ついでに足も組みなおして己を見上げてくる勾陣を、紅蓮は何とも形容しがたい表情で見つめ返す。呆れと諦観と困惑との色、その他様々な感情が浮かんでいる目が何より饒舌だ。
 やがて疲れたような声が訴えた。

「……勾。察しとか、推測とか、機微とか」
「どこまで私を呆れさせるつもりだ、騰蛇よ。女に悟ってもらおうなどとよもや思っていないだろうな情けない」
「いや男も女も関係なくて普通察するだろこのタイミングなら! と言うかお前既に察しているだろう!?」

 悲痛ともとれる声はしかしさらりと流される。
 紅蓮の言ももっともで、ドラマでも本でも映画でも、とりあえずどんな物語でもここまでくれば普通受け取る側が察する。むしろ察してくれないと色んな意味で気まずい。
 勾陣の場合は察していてしらを切っているので、ただの鈍感より何倍もタチが悪い。その上しらを切っている理由がただ単に「面白いから」の一点であるので余計に。

「往生際が悪いぞ、騰蛇」

 こういう時くらいリードできないのかお前は、という意味合いを込めて勾陣は微苦笑した。
 言葉を探している様子の紅蓮からそっと目線を外し、直方体の箱にやる。そうして勾陣は軽く息をついた。
 ―――まったく。さっさと言えば受け取ってやると言うのに。こっちから礼は言えないのだとこの男は何故気付かない。
 内心で思いつつも武士の情けで待ってやる。告げることは紅蓮に保険を与えてやることと同義で、すれば自然と「保険があるから言った」というかたちになってしまう。互いの真意がどうであれ、客観的な事実が行き着く先はその一点だ。
 それは心外だろう。―――どちらにとっても。

「…だから、」

 決心がついたのか紅蓮がやおら口を開いた。

「せっかくのイベントなんだから、と言うのとだったら西洋風でも別にいいだろうと言うことで俺からお前にだ頼むから気付け!」

 勾陣は目を見開いた。
 ……半ば、というか完全に自棄になっている。
 遊びすぎたか。だが何故決まらないのかこいつは。腹のくくり方が明らかに間違っている。
 様々な感想が胸中をよぎったが、それを口にするタイミングを逃した。紅蓮が座卓の上から件の直方体を手にとって押し付けるように勾陣に手渡す。ほぼ反射的に受け取ってしまった。
 多分菓子ではないと受け取った瞬間に分かった。重みがある。そもそも長い付き合いになる紅蓮が、勾陣が特別好きでもない菓子を贈って寄越すわけもないだろうが。
 受け取ってしまった以上、一連の流れは収束する。
 五秒ほど緩やかな沈黙が落ちて、―――勾陣がくつりと喉の奥で笑った声がそれを破った。

「まったく何なんだお前は。もう少しまともに決まらないのか」
「お前がそれを言うか!?」

 確かに、それも道理。勾陣がここまでからかわなければこんな渡され方にはならなかった。
 いいように踊らされる紅蓮の方にも原因はあると思うのだが。
 照れ隠しか。口元を引き結んで、紅蓮は踵を返し台所へ戻ろうとした。

「騰蛇」

 言いたいことがあったので引き留める。三歩向こうに行った紅蓮が肩ごしに振り返った。

「悪いが私は用意していないぞ」
「…悪いと思ってないだろう、勾よ……。別にそんな予想はしてたし今更だろうが、気にしていない」
「そうか、ならいい。…ああ、そうだ。そっちが西洋式にしたのならこっちが日本式にする必要はないだろうと思うのだが、お前はどう思う」

 遠まわりな言い方だが、つまりはホワイトデーは期待するなと言う意味だ。
 これもからかいだったのだが、紅蓮の表情が不思議そうなものになったのを見て勾陣はおや、と心中で呟いた。同じように不思議そうな声音があっさりと答える。

「…別に? 俺がやりたいと思ったからやっただけだし、それに期待をかけることは間違ってると思ったんだが」

 ―――待て。
 ちょっと待て、お前は今自分が何を言ったか分かっているのか。
 珍しく勾陣の意表を突いた発言に彼女が何を言おうか迷った一瞬の間に、紅蓮は台所の方へ消えてしまった。「そもそもお前が用意してないのは予想の範疇だった」と言い残して。
 先ほどまで紅蓮がいた場所を見やって勾陣は困ったように唇の端を僅かに吊り上げた。受け取った物を再び見る。
 ああもう、どうしてお前は。ずっと分かりやすかったくせに何故最後の最後でその発言がさらりと出てくるんだ。
 まるで言われたこっちが負けのような。
 
「…………まぁ、流石に何も返さないというのは問題か」

 悔し紛れに呟く。世間一般とは色んな意味で立場が逆になることがままあるが、こういうイベント事でもこうなるとはな。何かを誤魔化すようにひとりごちて前髪を掻き揚げた。
 さて、と。取り敢えず中身は何だ。教えてもらえなかったのでこちらはちゃんと推測する。
 笑みが自然と込み上げてくるのは、あれの反応が可笑しかったからか発言と行動が嬉しかったからか。
 認めるのは癪だったので前者だと思うことにした。

End.
 

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