書音

□僕の救世主
1ページ/1ページ

 夕日に染まって、放り出された真剣が赤く反射した。
 まるで、真っ赤な血液に濡れそぼったよう。
 そう考えて、赤毛は自傷的に嘲笑した。
 自分と同じ、赤色、だ。

 そいつは相手にもならないような、雑魚だった。自分の愛刀を鞘から抜く必要性も感じられ無いほど。
 だから、相手の手の内の真剣を自分の物とし、峯で沈めた。
 こんな雑魚にはもったいないくらいの質の良い刀だった。家の家宝か何かか。
 そうは言え、自分には必要無い代物だから地べたで大の字になって伸びている男の横に放り投げた。
 下らない。自分を倒したら何になるのだろうか。
 名門武家の嫡子を倒したら?箔が付く?
 まるで下らない。阿呆らしい。
 自分を倒していいのは、あいつだけだ。
 自分より二周りは小さく、細い、どこにあれだけの力を有しているのかと思うほど線の細い肢体。けれど誰よりも頼りになる後姿。
 女伊達らに家紋を背負い、その細腰に太刀を佩き。
 肩口で揃えた漆黒の髪と、それとまったく同色のどこまでも見透かすような瞳を持った彼女だけだ。
 こう、とそれだけ唇を動かす。零れた吐息は白くなって宙に霧散した。
「やはりお前だったか」
 不意に掛けられたはっと我に返る。
 今しがたまで思いを馳せていた彼女の声に沈んでいた気持ちが少しだけ浮上したのがよく分かる。
「勾か。どうした」
 先ほどまでの気落ちして、自分自身を蔑んだ表情を打ち消して振り返った。
 壁にもたれるようにして立っているのは、やはり彼女だ。
 夕日を背中に回し、逆光の中に居る彼女はどこか自分とは違う世界に在るように見える。
「いやな、つい先ほど昌浩と会ってな。そのときに長身の武士が浪人らしき人物を相手しているという話を聞いたと言っていたからお前じゃないかと」
 思ってやって来たらその通りだった、と続けた彼女は喉の奥でくっくと笑った。
 何が可笑しいのやら。けれども決して不快ではないのでそのままにしておく。
 どんなに自分が笑われていても、彼女が笑顔なら別に嫌ではないのだ。
 彼女の笑顔は好きだ。
 口に出してなぞ、きっと一生かかっても言えやしないのだろうが、心中で素直に呟くくらいには正直になった。
 随分と屈折して生きてきた過去があるぶん、それは顕著に感じられる。
 その屈折していた間さえ、彼女は呆れることなく側に居た。隣ではなく、ぴたりと背中をくっつけた形で。
 言葉は無いけれど、ただ其処に居てくれることが救いだったなんて、これも今更素直に思えるようになった感情だけれども。
 あぁ、そうか、と琥珀の瞳に彼女の姿を映す。
 紅を纏った彼女が琥珀に反射する。
「勾」
 低く若干掠れた声が喧騒と一枚壁を隔てて通る。
「何だ」
 応える声も、膜を張ったように鮮明だ。
「勾」
 彼女が怪訝そうに瞳で問うてきているのを分かっていながらそのまま続ける。
 彼だけが呼ぶ彼女の呼び名。彼だけが操れる言霊はひどく心地がよいことを、彼女はとうの昔に知っていた。
 だからか。呼ばれる声に身を委ねたのは。
「勾」
 不意に近づいた、均整の取れた大きな身体が彼女を包み込む。
 文字通りすっぽり腕に収まった彼女の肢体が身じろぎする。まるで離せと言わんばかりに。けれども、圧倒的な腕力の差に物を言わせて決して離さない。
 耳元に口を寄せられ、熱い吐息がかかる。
「……っ」
 彼女の身体がびくりと震えた。
 反射で耳に手を持って行きそうになるが、腕は抱きすくめられ動くことは無かった。かろうじて肘から下が上がり、結局騰蛇の着物の袖を掴むに留まった。
 そのまま、彼女は耳に吹きかけられる淡く熱い吐息に耐える。
 声も上げず、ただひたすらに呟かれる自分の名前を感じる。
 心地良さに包まれるように彼女の身体から少しずつ力が抜けてゆく。支えるように腕に力を込めた。
「勾。なぁ勾」
 初めて呼びかけられた声に、息が漏れるような返事をする。
「ありがとう」
 一言だけ与えられた言葉。
 愛してるなんて、言えやしないけれど。そんな陳腐な言葉なんて彼女に渡したくもない。
 だけれどこれだけは、素直な言葉だったから。
 素直に、生まれた言葉だったから。
 だから無性に渡したくなった。
 気持ちを受け取って欲しかった。
 
 分かってる、と返ってきた台詞に
 どれだけ救われているか

End.
 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ