チェシャ猫と歌う恋のトロイメライ【1】
□act7 ボリスキャット
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どうしてこんなことになってしまったのだろう。
つくづくマシロは思った。
ティーポットやあらゆる茶菓子で彩られた円卓の向かい側で、気だるげな視線を投げかけてくれる帽子屋ファミリーの若きボス、ブラッド=デュプレと彼を敬愛し日夜忠義を示すNo.2であるエリオット=マーチが睨み付けてくるではないか。
突き刺さる視線に居心地が悪い。気を紛らわすために手頃な自分のカップを手に取った。
中身を飲み下す。味なんて分からない。
「エリオット。そう睨んでやるな」
「けどよぉ、ブラッド!」
「エリオット」
「うっ……わ、分かった」
マシロの心境を知ってか知らずか、ブラッドは部下を窘めた。
口調こそはいつもと変わらないものの有無を言わせない視線に射抜かれたエリオットは渋々といった風ではあるがブラッドの意向に従うようだ。
剣呑な視線を逸らして目下のオレンジ色のスイーツを食すことで不信感を抱く相手から気を紛らわしているのだろうか?
とりあえず目先の安全は確保できたマシロは胸を撫で下ろす。ブラウスは時間経過とともに乾いていた。
「紅茶は美味しいかな、お嬢さん。ここは私が支援する紅茶専門店だ。飲み比べてみるのも悪くない」
「香りも素晴らしいです。こんな紅茶が淹れられる人になりたいです」
「素晴らしい紅茶には茶菓子が必要不可欠だ。なんなら私の分をあげようじゃあないか。いかがかな?」
「い、いただきます」
ブラッドは、エリオットが自分のために良かれと思って一緒に注文していた例のオレンジ色の忌まわしい物体を寄越す。
それを優しいだのなんだのと親切心からくる善行とでも思ったのか、エリオットがブラッドを称える声を鼓膜の隅で聞き流しながら、マシロはフォークで菓子を切り分けて口の中にも放り込む。
租借を繰り返して飲み込んだ。
「とても美味しいです」
「……そうは見えねぇぜ」
感想を述べれば、エリオットは一転してずばりと吐き捨てた。
マシロの肩に力が入る。図星だった。味なんて、分からない。
それでもマシロは当たり障りのないように「そんなことないですよ」と否を示した。
至極納得いかない表情のエリオットに、ブラッドが呆れて肩をすくめた。
「退行したな、エリオット。昔のおまえに戻ってしまったようだ」
「ンなことないぜ、ブラッド」
「そうかな?」
「俺は考えるようになった。どんな奴でも3秒は猶予を与えてるぜ?」
「そうだな……昔のおまえは未熟で見知らぬ者であれば敵と見做していたからな」
エリオットは人懐っこい犬のような笑顔をブラッドに向けている。
自分に向けられる態度のあまりの温度差に風邪さえひいてしまうのではないかと危惧するマシロであった。
そんなマシロにブラッドは「さてと」と向き直る。
笑い話がひとつとしてない口下手な女性を気遣って茶会の席に花を咲かせようとしてくれたと思っていいのだろうか。
だが向けられる視線には好奇と感心が同居している。それは如何なる訳があったのかマシロには解らない。