チェシャ猫と歌う恋のトロイメライ【1】
□act3 再開
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いつまでそうしていただろうか。
腕の中に納まるマシロの嗚咽も徐々に小さくなりつつある。時折しゃくりあげる肩を、ボリスが離さない。
「……ねえ。あっちはどうだったわけ? 待っているヤツはいた?」
「…………」
胸に顔をうずめたまま左右に振られる首。
「そうだろうね。あのまま俺にすがっていればよかったのに、帰るとか……でも許してあげる」
おもむろに髪を引っ張られたマシロの顎が跳ね上がった。
短い悲鳴をあげた口を、ボリスのそれが封じる。
噛みついて何度も何度も角度を変えては荒々しく唇を食む。
押し付けられるそれをくぐもった声を漏らしながらもマシロは抵抗の色も見せない。
むしろ、おとなしく受け入れるどころか控えめながらに唇を押し返すのだった。
何度か繰り返してから髪を解放してやると、ボリスの唇は身を引くように離れた。
「今度は帰さない。鎖で繋げて可愛がってやるよ。激しすぎて泣いたって優しくしないから」
飼い殺してやるから覚悟しなよ。
そう言ったボリスの言葉にも、マシロはやはり頷くだけであった。
前髪を後ろに流して額にキスをひとつ落とす。
小さなリップ音が鳴る。細い肩が震えた。
「……どうしたわけ? すっかりしおらしくなってさ」
「ううん……」ゆるゆると首を振るう。
「……可愛い」
「そんなこと……」
「可愛い」
タトゥーの入った目元にほんのりと朱が差した。
それを見てマシロは小首を傾げて答えを模索していると呟きが耳を叩く。
「かわいい可愛い超かわいい……あ〜、くるくる……来る来る……」
何やら興奮している様子だったが、それが如何なる理由が秘められているのか、マシロは検討がつかないでいた。
曖昧に微笑むマシロの気持ちなど知る由もないボリスは、彼女の従順な姿勢が健気に見えていじめたくなったなどとは言えないだろう。
ひとり妖しくときめいていると、ふとひしひし感じる視線に一瞥を返す。
「にゃ……にゃんこと、マシロ、が……ちゅう……!?」
すっかり忘れていた。
木の背後で狼狽えるピアスがマヌケ面ひっさげながら、抱き合うボリスとマシロを交互に見比べている。
ボリスは自慢のコレクションでも見せつけるような笑みを投げつけて言い放った。
「メス猫連れて散歩とかやるじゃん、ピアス?」
勇気ある〜♪ と、ご機嫌でからかってやると途端に声にならない悲鳴をあげるピアス。
「ねっ、ね・ね・ね・ね……ねごぉ!? マシロもにゃんこなのォ!?」
「そうそう。耳も尻尾もない猫。俺の彼女だぜ。盛ってる猫同士の交尾なんか見てネズミは何が楽しいんだろうなぁ?」
「ぴっ……! ぴぃぃぃぃぃッ!! にゃんこ嫌い! 嫌い嫌い! ボリス怖い! ニートニート!!」
瞬間、木の陰から飛び出すピアスが、何度も転びそうになりながら町の方角へと逃げ去っていく。
その様子を「にゃははは」と笑うボリスの腕の中で、マシロは豆粒サイズになりつつある後ろ姿をポカンと見つめていた。
「あの子、ネズミだったんだ……」
どうりであの錯乱っぷりである。
プッと小さく笑ってからマシロはボリスを見上げて――やはり笑うのであった。
「私もね、ニートなの」だからいっしょだね、とマシロは愛おしそうに目を細めて言う。
「4年ぶりだね」
「……4年ってどれくらい?」
「ん〜……12.789.600時間くらいかな」
「ふぅん? こっちは舞踏会終わってからそんなに経ってないよ」
「ふふ……まるで浦島太郎の気分」
「なにそれ」
ボリスの疑問に無言で首を振るマシロの表情は柔らかい。在りし日の時間を懐かしむように――
ああ、時間を無駄にしてしまったな、と呟くのだ。
「すっかり年上になっちゃったなぁ……ボリスさん、18、19くらいでしょ? 同い年くらいだったのに、私なんかもう……」
「あんたは変わってないよ」
「……そう、かな」
「そうだよ。ずっと可愛いまんまでいてくれた」
いつものようにたらしこめば白い顔が沸騰でもしたように染まり狂う。そういうところもやはり変わっていない。
男慣れしていない様子でうつむく赤い顔が愛おしくて恋しくて――
そんな可愛がりたいと言う気持ちと、それに溶けあう感情は、先刻抱いた嗜虐欲だった。
決して苛烈に虐め抜きたいわけではないが、意地悪くらいしたいのが男心とでも言うべきなのか。
文字通りに捨て猫にされた男は矛盾が交わる気持ちを生唾とともに飲み込むのであった。
🍀