チェシャ猫と歌う恋のトロイメライ【1】
□act16 ハートの騎士が君に願うこと
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「旅は寄り道って言うけど……迷った先に君が居るとはなぁ」
エースは嬉しそうに笑いかけると「よっ、と!」と生垣から飛び出す。
赤いロングコートについたバラの花弁や葉っぱを軽く叩いて落とすと、まず裏門兵ににこやかに言った。
「君、ちょっと外してくれよ」
「あ、あの……」
「頼むよ。な? 上司が頭を下げてお願いしてるんだから。このとーり! な?」
「あ……」
パンッと乾いた音をたてて掌を合わせたエースは、視線を上げて裏門兵を窺う。
燃えるような深紅の瞳は、どうしてか冷たい。
バラ香る庭園はまるで時が止まったように静かだった。
困惑しながらも微動だにしないマシロと裏門兵を他所に、エースだけは世界を超越したかのように立ち振る舞っている。
裏門兵の背筋に、しとどと冷たい汗が伝う。
マシロの瞳孔は、静かにエースへ裏門兵へと交互に滑る。
裏門兵はしばし逡巡した様子だったが、答えを口にするまでそう時間はかけなかった。
「……はっ。仰せのとうりに……」
願いを聞き遂げるようにと強く、暗に命じられてしまえば部下が何かを返すことなどできる筈もなく―――裏門兵は呆気なく去っていってしまった。
「エバンネさん……」
か細い声が、遠ざかる背中に投げかけられたが、その名の者は足を止めることはなかった。
「あの数字は……ああ、あいつか。ははっ、また仕留め損ねたぜ」
エースは明朗に大笑いしてから、立往生しているマシロに向き直ると、眉毛を困ったように下げてやれやれと肩を寄せるのだった。
「あいつはしぶといんだ」
そう世間話をしながらマシロに歩み寄る。
邪気を感じさせない、自然な動作だった故にマシロの反応も遅れてしまう。
ハッと状況を理解した途端に心臓が慌てだした。
「わ、私……もう帰らないと……」
マシロは身構えながら一歩一歩後退してゆく。
じりじりと逃げ腰のマシロを見てどう思ったのか、エースはきょとんとした顔で声を張った。
「なんだなんだ! 俺は別に何もしないぜ!」
「……っ、そんなの、信じられない」
「マシロ、俺は騎士だぜ? 君を護るのも俺の仕事」
「……」
「まさか俺が君を襲うとでも思ってるのか? 冗談きついぜ、マシロ。暴漢だって人選する権利はあるだろう」
「……そんな意地悪なこと言うあなたに関わってろくなことにならない筈がないです」
「んー、そうか? はははっ、マシロは被害妄想が強いんだなぁ! しょうがない、じゃあ―――」
「……?」
警戒心丸出しのマシロの妄想が杞憂であるみたいに、エースはそれ以上足を進めず、直ぐ脇の生垣に咲くバラを手にとった。