チェシャ猫と歌う恋のトロイメライ【1】

□act12
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ガラス張りの空間から目下のホームを見下ろす。
マシロは鳴り響く汽笛をぼんやりと聞きながら、これまた気のない視線で動き始めた列車を流し見ていた。


「あんたはどこか行きたい場所ある?」


いつの間に居たのか。
ずっと逢いたくて、でも逢いたくなかった男が相変わらず神出鬼没にひょっこり現れたではないか。
マシロはガラス窓に映るピンクのシルエットをちらりと盗み見て、そしてすぐ逸らしてしまった。


「ええ、あります」

「じゃあ汽車に乗っちゃえばいいのに」

「……しょっちゅう事故を起こす汽車になんて乗りたくありません」


そういうもん? とへらりと軽薄に笑うボリス=エレイにある感情が募ってゆく。



もう何時間帯、いや何十時間帯この国に居るだろうか。
もう覚えてすらいない。記憶がぼんやりしていて、けれど長い間は『ここ』に留まっている気さえする。
なんとも曖昧だった。記憶障害の気があるとは思っていたが、それだったらなおのこと全て忘れてしまえばよかったのに……。
そこで我に返る。なんとも薄情なことを考えるではないかと考えを改め直した。
『彼』にたいしてどこまで不誠実を貫くつもりなのかとまた自己嫌悪の海に溺れてしまう。


「案外乗っちゃえば楽なのかもしれないね」


あの汽車がどこに行くのかなんて、マシロには解からない。行き先を教えてもらっていないのだ。
滞在初期の頃は説明を求めたが「また今度」とはぐらかされて以降なにも訊かないでいた。


再びボリスを窺う。好奇心を隠そうともしない黄金色の瞳と重なってしまった。
最初こそは気まずさで逸らしていた。今もそうだ。それでも時折目が合えば、途端に鋭利な昏い瞳で睨んでしまう。
ボリスは、やれやれお手上げだと言わんばかりに肩を竦めた。


「なんでそんなに目の敵(かたき)にすんの?」

「別に」

「生意気。ほんと可愛くないぜ」


マシロは何も言い返さず、ボリスの横を通り過ぎてゆく。
可愛さ余って憎さ百倍とでも言おうか。
マシロと現在のボリスの関係は、マシロと『彼』の最初期の関係よりも険悪なものだった。
同一人物であってそうではない彼に苛立ちと憎らしさばかりが募ってゆく。
そして同様に執着していた『彼』を探し回っていた。



愛おしくて恋しくて寂しくて焦がれるままに、今日もどこかに居る『彼』を当てもなく探し求めて彷徨い続ける。










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