チェシャ猫と歌う恋のトロイメライ【1】
□act10 私達の知らない私の過去
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―――現実こそ悪夢。
確かにそうなのかもしれない……。
浅い眠りについていた意識が無理やり覚醒に誘われる。
言語にならない絶叫が響き渡り、脈打つことがない金属の心臓が止まるかと思った。
闇夜も夢も切り裂く絶唱の最中(さなか)、手探りで枕元のランプを灯す。
「マシロ……!?」
隣で眠っていた筈のマシロはすでに起きていた。否、飛び起きたと表現した方が正しいのだろうか。
がくがく震える肩を抱きしめてうずくまるマシロの様子は、明らかに尋常ではなかった。
手を差し伸ばしてその細い身体に触れようとする。触れた途端、全ての筋肉を強張らせていた身体がより大きく跳ねあがった。
「いやぁぁあぁぁあぁッ、や、やめてっ!」
「しっかり! しっかりしろよ、マシロ! 大丈夫だから!」
「いだぁ、ぃ……やめでッ、あぁ、あぁぁああぁぁ……ッ!」
ボリスなどもはや見えていないのか、マシロは完全に錯乱状態に陥っていた。
あの日と同じだ。まるで我を忘れてしまったかのようになりふり構わず狂乱する様は、あの夜に起きてしまったことと一寸違わぬ光景だった。
だが今回は原因が解からない。何をすればいいのか、どうすればいいのか解らずただ茫然としてしまうボリスは、マシロを蚊帳の外から見守ることしかできなかった。
よもやマシロが今この瞬間にも過去の惨劇を繰り返し体験しているとは、ボリスは夢にも思わなかっただろう。
「うぐっ! げふっ、かふっ……! うぷっ……!」
とっくの昔に癒えた傷痕を掻き毟って泣き叫んだかと思えば途端に呻き声を殺し、ついにむせ返って前のめりにくずおれてしまう。
丸くなる身体は不規則に痙攣し続けていた。
(なんだよ……これ……)
吐瀉物とともに絶え絶えの息を吐くマシロはなおも苦痛に呻いた。
咳き込むマシロの背に触れる。今度は振り払われることはなかった。
「ぼりす」
しばらくの間、背中をさすって介抱していれば、かすれた声でマシロが名を呼んだ。
「ぼ……リス……ボりす、どこ……どこ……」
「ここに居るよ」
「ぼりす……」
「安心して。傍に居るから。大丈夫だから……」
大丈夫―――そう宥めてもマシロはボリスの名前は呼んで求めるばかり。
ボリスは衣服が汚れるのも構わず、マシロを抱きよせた。その身体の筋肉は異様に強張っており、呼吸も乱れている。
わなわなとおぼつかないマシロの指が、傍らにあるぬくもりを探して空を彷徨う。
ボリスも手を伸ばして指を絡ませた。
「つれでって……」
「……どこに?」
「びょ、う、いん……」
「……ん。解った」
ボリスは濁音雑じりの言葉に頷くと、マシロの手を引いた。
この夜、監獄のような空間から初めてマシロを連れ出すことになった。
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