チェシャ猫と歌う恋のトロイメライ【1】

□act5 ■■は迷わない
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蒼穹から月夜に移り変わる空模様。
眼下に広がる街並みが瞬く間に灯りがともつ。

どちらともつかない浅い呼吸が室内に消え入る。
乱れたシーツの上で横たわるふたつの身体は寄り添い合っていた。

痩せた肌を撫でると身じろぐ細い身体。


「眠れないの?」


背中からマシロを抱くボリスが気にかけてくれた。


「そうみたい」


マシロは小さく頷いて呟く。


「荒々しく抱いて気絶させてあげようか?」

「それは怖いかなぁ……」

「……激しくしたい」


そう言われてもと、マシロは苦笑を零してしまう。残念ながらその表情はボリスには見えないが。



冷めつつある身体にキスをひとつ落とす。

否定もしないその姿勢は、自分になら何をされてもいいのではないかと勘違いしてしまいそうだ。してもいいのだろうか?


「俺といるのに安心できない?」

「ボリスが、って訳じゃないよ」私が悪い。

「ずっと……まともに眠れなくて」

「ずっとって? 元の世界に帰っても?」

「ずっと。いつからかは覚えてないけれど……」

「あんたも不眠症かよ」

「私もって?」

「ピアスもそれだから」

「ピアス君が? そう……」


腹を撫でるチェシャ猫の手に、自分のそれと重ねる。
高めの体温が愛おしい。彼になら、なんでも話せてしまいそうだ。
くだらないお喋りでも、他愛ない相談でも……


「私ね、役持ちさん以外の顔が分からないんです」

「俺もだよ」

「そうじゃなくて……」


違う、と言いながらマシロは上体を起こす。
未だシーツに埋もれている猫の輪郭を確認するようになぞるのだった。
ボリスはくすぐったそうに身をよじるのだ。それさえも、愛おしい。


「元の世界でもね、分からないの。みんな顔がないっていうか、ぼんやりしてて……」

「そういうもんなわけ?」

「……違うと思う」

「気にしなくていいよ」


マシロの表情は、夕飯に使う食材を買い忘れた程度には深刻であった。
このぬくもりが在るのならば、他の存在なんて要らないのだ。



閑話休題。


「もし……あんたのことを知らない俺と会ったらさ、どうする?」

「……出逢わなければ、それはもう接点もない他人です」それに、と続くマシロの言葉は……

「そういう"もし"とか"〜れば"とか意味ないですし」

「えー? あんたがそういうこと言うのかな? いつも後悔してばっかなのに!」

「はは……うーん……」


曖昧に微笑むマシロは、結局言い返す言葉が見つからないでいた。
それまで床についていたボリスがふいに体を起こし、試行錯誤しているマシロの腕をとる。
引き寄せて、もう何度目か分からない抱擁を繰り返すのだ。


「俺は人でも場所でも執着しないけど……あんたは別。だから……浮気しないでね。俺が嫉妬深いのは知っているでしょ?」

「はい」

「いい子になったね。聞き分けがよくなって」


それが愛おしいやら虐めたいやらで理性が掻きまわされる。
可愛さレベルも大幅に上がって大変喜ばしいことこの上ないが、それと同時に危機感も募ってゆく。
誰かに盗られるかもしれない、誰にもあげたくない独占欲である。



「あんたのこと……違う時間の俺にだって渡したくない」

「なんですか、それ?」

「いいの、マシロは知らなくて」


少しむくれた顔は、けれど一瞬で破顔一笑してしまうくらい高揚してしまう。


「少し休みなよ。起きたら出かけたい」

「はい」

「美味い魚料理屋があるんだ。あんたに食べさせたくてさ」


傷んだマシロの髪を弄いながら、その額に接吻をくれてやる。


「おかえり、マシロ」










act5 マシロ=クルスは迷わない
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