チェシャ猫と歌う恋のトロイメライ【1】

□act2 扉の向こう側は時間の国
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act2 扉の向こう側は時間の国





素足で青い芝生を踏みしめた。
森の匂いが肺の中を満たす。
外に出たのはいつぶりだろうか。
切りそろえた短い髪を優しいそよ風が撫でてゆく。


深呼吸してからゆっくり目蓋を開ける。
ひろがった景色はやはり森で、木々にはドアが取付けられていた。自分はこの中のひとつから出てきたようだ。

顔を上げる。
森の向こうで青空を突き刺す尖塔はハートの城のものだった。
なでしこ色のパジャマの裾をギュッと握りしめる。


(……帰ってきたんだ……)



ハートの国に――
その実感を噛みしめて一歩一歩あるく。
お城から見て遊園地はどの方角だったか。
マシロはけっして活動的ではないし、特別用事がなければ城の客室から外に出ようとはしなかった。このような森を訪れたのも初めてである。
ドアの森を抜けると前方から誰かが走ってきた。マシロの視線は森に向いていて近寄ってくる気配に気づかない。
小さな影はどんどん迫って大きくなる。彼は後ろを気にしているようで足をもつれさせながら走る。
ふたりが互いの存在に気付いた頃にはもうぶつかる程に接近していた。


「ぴっ!? ぶつかるっ!」

「――あ!? あぶな――」



思わず目を瞑りそうになるマシロ。
男性にしては小柄なその人は急ブレーキをかけるように停止を試みるが派手に転んでしまう。
顔を上げて泣きじゃくっていた。


「ぴ〜〜〜、死ぬかと思ったよ」

「あ……あの、大丈夫?」



声をかけると少年は怯えたようにマシロを見上げた。


(年下……かな?)



涙ぐんだグリーンの大きな瞳のあどけない顔はどう見ても17より上には見えない。
へたりこんでいる小さな体躯にはきっちりスーツを着込んでいたが。


「き、君は誰……?」

「私……?」

「もしかして俺を食べる人?」

「違いますよ」



やんわり否を示すと少年は安心するように息をついた。
頭の上に生える丸い獣の耳がぴこぴこ動いている。


(クマかな?)



ああ、やっぱり帰ってきたのだと嬉しさに花開いてしまいそうだ。

ふと少年の視線を感じてそちらを見やる。
メッシュのはいった前髪から覗く若葉色の瞳がじっとマシロを捉えて離さないではないか。
真っ直ぐ見つめられることには慣れていなくて、マシロは身をすくめてしまう。


「じゃあ落とし物?」

「え?」

「だってドアの森から来たでしょ? だから君は落とし物だよ」

「違うよ」



思わず口調も砕けてしまう。
年下や子供は苦手だ。


「あの、私、お城に行きたいのだけど……あなたは森の外から来た人……よね?」

「うん、そうだよ」

「森の出口はこっちでいいの、かな……?」

「うんうん。正解!」

「そうですか……あの」

「君はお城に行きたいの?」



言葉をかぶせてきた。


「うん、そうなの」

「今お城には誰もいないよ」

「そう、なの?」

「うん。今は会合中だからみんな町にいるよ」

「会合? そう……なの……」

「どうしたの?」

「困ったなぁ……じゃあ町に行ったほうがいいのかな……」



考えあぐねている真剣な眼差しが芝生を見つめていると、少年が、


「俺が町まで案内したげようか?」と言ってから、「あっ……でも俺、追われているんだ。こわい、こわいよ」とまた目を潤ませてあたふたするのだった。

「……君が俺のこと守ってくれるなら俺、がんばるよ!」

「私、戦えないの」



ごめんね、と一言添えて首を振る。
それでも少年はめげない。


「じゃあ傍にいるだけ! ね?」

「……流れ弾に当たりたくはないかなぁ」



ごめんね、とまた一言添えて首を振る。
それでも少年はめげなかった。



「おねがいおねがい〜。俺をひとりにしないで〜。こわい、こわい……!」

「…………」



何者かを恐れて震える姿が可哀想だと思った。


「あの……少しだけなら……」

「えっ、いいの?」

「うん……少しだけなら……」



マシロが観念すると、少年は顔を綻ばすのだった。










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