頂き物小説
□留守電
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tlllll... tlllll... ピーッ
コール10回と甲高い発信音を聞いてから、オレは握った受話器に話し掛けた。
「おかえり。
今日は遅いんだね。お疲れ。
オレは珍しく出先から直帰出来てさ…会えるかと思ったんだけど、そうそう上手くはいかないな。
ところでさ、オレうっかりしてたんだけど、記念日…過ぎちゃったね。本当にゴメン。電話くれてただろ?
―――会議の資料作りでバタバタして、かけ直せなかった。ゴメン。
罪滅ぼしってワケじゃないけど、年末はちゃんと休み取るよ。君の会社は何日から休みだっけ?
……二人で、旅行にでも行こう。温泉とか…予約が間に合えば、海外でもいいな。
それともひょっとして、実家に帰る?」
独り言を調子よく続けていたが、そこでふっと思い当たった可能性に少し間が空く。
「………今年は少し連休長いだろ?もし帰省するにしても、日帰りでどこかへ行くくらいは出来るかな。
―――いや…正直に白状した方がよさそうだな。
自分で情けなくなってきた。
オレが、限界。
自分で忘れてたクセに何だって言われたらそれまでなんだけど、思い出したら何か『特別』な事がしたくて堪らなくなったんだ。
君に会いたい。仕事とか全部忘れて、君とゆっくりしたい。
……我ながらすごい身勝手さだな」
ふぅ、と息を吐いて、玄関のドアを開ける。
すっかり冷たくなった風に、今君が寒がってはいないかと少し心配になった。
ガチャリとシリンダーの回る音を確かめて鍵を抜き、君がお揃いにとくれたキーケースを鞄にしまう。
耳と肩で挟んだ電話のせいで、もしかしたら雑音だらけかもしれない。
「…それで……あぁ、そうそう。
記念日を忘れた酷い男なりに、精一杯のお祝いを用意したんだ。
多分君は驚いて混乱しそうだから、留守電に入れておく。ランプが点くから、気付くと思ってさ。
リビングに気になってるガイドブックを置いといた。上にあるヤツほどオレ的には上位かな。
『お詫びを兼ねたお祝い』は、週末に絶対顔出すからその時に片付けるよ。…オレが力を加えてるし、それまで十分もつと思う」
明日もお互い仕事がある。
いくら会いたくても、それが負担になるのは避けたかった。
それでなくてもオレと君は、種族の違いという途方もない壁をよじ登っているんだから。
「冷蔵庫に、差し入れもあるよ。
忙しくても食事はちゃんと摂るように。いつかも言ったけど、君は無理なダイエットや食事制限なんて本当は必要ないんだ。
タンパク質や脂肪も体には必要だよ。
アレじゃ冷蔵庫じゃなくて、巨大な野菜室になってるじゃないか。頼むから、スタミナになるものを食べて」
青々しい光景を思い出しながら、つい小言が混ざってしまった。
今日は、そんなつもりじゃなかったのに。
「―――どうもオレは、君が絡むと小舅みたいだな。
……とにかく、帰ってコレを聞いたら、年末の予定を考えてみて。
それじゃ、また。
愛してるよ」
終話ボタンを押して、ケータイを閉じた。
タイミングよく電車がホームに入って来る。
最寄り駅までは15分ほど。
更に10分歩いて、オレは自宅へ帰った。
小一時間もすれば君から掛かってくるであろう興奮気味の電話を待ちながら、一人頬が緩む。
壁やテーブル、家具の隙間を埋めるように咲いた薄紅色のバラ。
君の好きな花、好きな色で、オレのいない空間さえ塗り潰すように。
そう、オレは君の部屋から君の家電に掛けて、誰が出るわけもなく留守電に切り替わるのを待って部屋を出たんだ。
おかえり、オレの愛しい人。
その部屋にオレはいないけど、オレの声が君を迎える。
しばらくはまた会えないけど、その部屋にオレが溢れている。
伝え損ねた『記念日』という特別に、負けないだけの愛を込めて。
その部屋と留守電は、君だけを待っているから、早く帰っておいで。
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