words


□ワインと針と。
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誕生日を喜べなくなったのは、いつからだろう。

昔は家で親父が祝いだと言って豪勢な寿司を握ってくれたり、あるいは友達が集まって賑やかにパーティーを開いてくれたり、それは楽しい思い出ばかりだった気がする。

だがここ何年かは、仕事終わりの疲れた体に強めのアルコールを流し込むことで高ぶった神経を無理矢理鎮めてベッドに潜り込む、そんな荒んだ日常の中に誕生日というイベントも埋没していくことが続いている。

今夜も近年の例に漏れることなく、まもなく日付が変わりそうな時間帯に漸く自室に戻り、誰に祝福されるでもなく一人グラスを傾けながら残りわずかとなった24歳の誕生日を浪費している。

祝ってもらうような気分にはなれないから、別段孤独も感じない。寧ろ気は楽なくらいだ。

天井から降り注ぐ眩しいくらいのダウンライトがグラスの中で揺れる液体を透過して、手の上に赤い影を落とす。それが真っ赤な血がまとわりついているように見えて思わず目を反らしたが、そんな自分には苦笑するしかなかった。

つい数時間前には、実際この手は自分が手に掛けた人間の血液で真紅に染まっていたのだから、影ごときに怯えてみせるなど偽善でしかない。

グラスに残ったワインを一息に飲み干して、小さく息を吐いた。アルコールが咽喉をじわりと焼くような感覚に、今年も生きて誕生日を迎えていることを実感し、一方で自分が斬ったためにもう二度と歳を重ねることのなくなった人間の顔が脳裏を過ぎる。

初めて人を斬ったときには、身体の震えが治まらなかった。刀を鞘に戻すこともままならず、ただその場に崩れ落ちた。背後から友人に切り掛かってきた男に気付いて咄嗟に抜き、我に返ったときには男は息絶えていた。傷口から溢れ出す血の鮮やかな赤ばかりが今も思い出される。

俺が守った友は、血の海にへたりこんで濡れたこの手を掴み、大粒の涙を流しながら何度もゴメンと繰り返していた。自分が不甲斐ないせいで泣かせてしまったという後悔が込み上げてくるとともに、四肢の震えは治まっていき、頭も急激に冷めていった。

彼を二度と泣かせないために。人を斬ってもその苦悩や胸の痛みは決して表に出さないと決めた。

覚悟してしまえば、躊躇いはなくなる。命を奪うことも目的のためには辞さない。大切なものを守れるならば、それを奪おうとする人間の生死になど興味はないとまで思えるようになった。

それでも。

それでもやはり、きっかけさえあれば癒えぬままに重ね重ねてきた傷口はたやすく開いて血を流す。殊に誕生日は、来るたびに罪の重さを突き付けられる気がした。

普段は缶ビールばかりなのに、今日にかぎって赤ワインなど開けてしまった自分が腹立たしい。この赤い液体でなければこうまで感傷的になることもなかったはずだ。

苛立ちまぎれにまだ半分近く残っているボトルを引っつかみ、シンクに放り込んだ。下水に流すのはまた明日、日が昇ってからにするのが無難だろう。ボトルから流れ出すワインで徒に自分の神経を掻き回したりしたら、いよいよ何をしでかすかわからない。

自嘲気味にため息を吐きながら、冷蔵庫のミネラルウォーターを取り出したときだった。

ドンドン、と不意に玄関ドアを叩く音が響き、その乱暴さに思わず顔をしかめた。ドアベルがついているというのに、わざわざドアを叩くなんて随分非常識な客だ。

暫く様子見に息を潜めたが、ドアを打つ音は止む気配がない。

あまりに近所迷惑なのでしかたがなく玄関へ向かうが、その間も急かすようなノックが続く。どんな文句を言ってやろうかと思案し、できるだけ凶悪な表情を作りながらノブに手をかけた。


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