数ヶ月ぶりに入った日本での仕事。オレの張り切り様は部下たちが訝しむほどだった。 しかたがないではないか。 日本へ行けるということは、大事なかわいい恋人に会えるということなのだ。もう随分会っていない。心躍るのも不可抗力だ。 愛しい人のことを思えばイタリアから日本へのロングフライトも全く苦にならず、オレは足取り軽く成田空港に降り立った。 部下達には先にホテルに行くよう告げて、自分は一人タクシーに乗り込む。無論、ビジネスに支障がないようにスケジュールは組んであるのでそれで問題ない。 部下がいないと人並み以下のオレだから、ちゃんとみんなに見送ってもらう間に運転手に行き先を伝えた。 目的地は並盛中学。 そこにいる年若い恋人のことを思うと自然と笑みがもれる。それがルームミラーに映ったのか運転手に少し気味悪そうな顔をされたがそれも仕方がない。溢れ出す歓喜を留める術など端から持たないのだから。 車窓を飛び去る街を眺めると、等間隔に植えられた銀杏の金色が眩しい。今年は日本になかなか秋が来ないと以前恋人が漏らしていたが、もうすっかり秋めいているようだ。 これから二人で紅葉狩りに行くのもいいななどと思いながら、オレは世界中どこでも使える衛星携帯電話を取り出して、短縮1番をコールした。 相手が出るまでの呼出し音ですら、二人の再会を演出するアイテムと思えば愛おしく思えてしまう。 コール音を10回数えたところで、ガチャリと二つの携帯が接続された音がなる。 「こんな時間に何の用。」 予想通り愛想のない声。でもこれはいつもの照れ隠しだ。オレが日本にいることを知れば、少しは素直にうれしそうな声を出してくれることだろう。 「ハロー恭弥。今日本に着いた。これから並盛に…」 「来なくていい。」 しかし、オレの言葉は全く予想だにしない冷たい言葉で遮られた。 「来なくていいってなんでだよ?せっかく久しぶりに会えるってのに。」 声が震える。いや、恭弥にはなにか事情があるのかもしれない。学校行事の準備だとか、試験勉強だとか、学生だって忙しいのだ。来なくていいと言ったのは、今は相手をしている余裕がないという意味だったに違いない。 「貴方には会わない。」 オレの希望を打ち砕く一言。 「は?お前何言って…」 さっきまでの浮かれ気分はどこへやら、今や頭の中は真っ白だった。 「会いたくない。」 繰り返される拒絶の言葉に血の気が引いていくのがわかる。 「どうしてだよ?まさかオレのこと、嫌いになった?他に好きなやつでもできたのか?」 高層ビルの屋上から突き落とされたようなショックを受けながら、一方では恭弥がオレに冷める可能性はそう低いものではないと思っている自分がいた。 歳の差、物理的な距離、中学生とマフィアのボス、そして同性であるということ。 普通の恋愛が成り立つにはあまりに多い障害。 古風な恋愛観を根強く持つ日本人である恭弥が、今のオレたちの関係に違和感を覚えたとしても無理のない話だ。 それに思春期真っ盛りの恭弥が身近な異性に惹かれたとして、オレにそれを咎める権利などあるだろうか。彼が望むときに傍にいてやることすらできないオレに。 沈黙が痛い。もし、他に好きな人ができたと言われたら、オレは笑って身を引けるだろうか。 「そうじゃ…ない。」 長い静寂を破って呟かれたのは、オレを安堵させるに十分な否定。 数秒なのか数分なのか、恭弥の返事を待って悶々と考えていたことは一先ず思考の奥へ追いやってよさそうだ。 ホッと胸を撫で下ろしたオレは年長者の余裕を取り戻して柔らかく問い掛ける。 「じゃあなんで会いたくないなんて言うんだよ、恭弥?」 「貴方いつ向こうへ戻るの?」 だがオレが投げた問いは答えを得ることなく、別の問いを被せられてしまった。 しょうがないなと思いながら、明々後日だと教えると、消え入りそうな細い声で恭弥が「やっぱり」と呟くのが聞こえた。 「恭弥?」 「会ってまたすぐ別れなきゃならない。」 会わない、と言い張っていた恭弥の思いがけず可愛い言葉に戸惑いを隠せなかった。 つまりはもっと長く一緒にいたいと言ってくれているのだから、オレの頬が緩まない道理はない。 しかし、それが「会わない」にどう繋がるというのだろう。「だから早く会いたい」ならばわかるのだが。 どう反応しようか迷っているうちに、黙り込むオレにいらついたのか盛大な舌打ちが聞こえた。 そして。 「そんなの余計に淋しくなるから…だから会わない!!」 その怒鳴り声を最後に、一方的に通話を切られてしまった。さっきまで恭弥の声を伝えていた場所からは、ツーツーと無機質な電子音だけが聞こえてくる。 もう一度かけ直すことはせず、オレはジャケットのポケットに携帯をしまった。意地っ張りな恭弥のことだから、どうせ今頃オレの番号は着信拒否されているだろう。 なんて幸せなんだろうと、それでもオレの頭の中は再び浮かれモード突入。 いつも淋しい思いをさせているのは心苦しいが、あの恭弥がそんなにオレを求めてくれていることが嬉しくて堪らない。 「お客さん、このまま行ってよろしいんですか?」 電話の一部始終を聞いて気を遣ったのか、気まずそうに尋ねてきた運転手にオレは笑顔で肯定の返事をした。 待ってろよ、恭弥。 オレがいない間も淋しさなんて感じないくらい、たっぷりの愛を注ぎに行くから。 車の窓から見える秋晴れの空は高く澄んでいた。それはまるで濁ることを知らない、互いの思いのように。 End. (071128) |