words


□猫の恋人。猫と恋人。
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目が覚めると、恋人が猫になっていた。


昨晩は一緒にベッドに入ったが、オヤスミのキスをしてすぐに眠った。久しぶりに会ったから本当は愛の営みをしたかったのだが、明日も学校で早いから嫌だと言われて仕方なく引き下がったのだ。

恋人の恭弥はよほど疲れていたのか、悪戯をしかける間もなく寝息を立て始め、オレはせめてその温もりを感じたくて、体温の高い恭弥の身体を抱き寄せて目を閉じた。

人肌というのは不思議と心地よいもので、それも恋人のものとなれば愛おしさもあいまって格別だ。じんわりと心にまで浸み入るような熱を堪能しているうちに睡魔が訪れ、オレは抗うことなくそれに身を委ねた。

そして、今日。カーテンの隙間から入り込む陽光に目を覚ましたら、腕の中にいたはずの恭弥の姿はなく、代わりにその場所では一匹の黒猫が気持ち良さそうに丸まって眠っていた。

そう広くはないホテルの部屋を見回しても、恋人の姿は見えない。名前を呼んでも返事はない。

諦めかけて、ため息のように「恭弥」と呼んだとき、

「ニャー。」

いつのまにか目を覚ましていた猫がオレのほうをじっと見上げてそう言った。まるで返事をするように。

「恭弥??」
「ニャァ。」

念のためもう一度黒猫に向かってそう呼び掛けてみると、間髪入れずに返事があった。その鋭く光る瞳は何かを訴えかけるみたいにオレを見つめている。

そしてオレは直感的に確信した。この黒猫は、恭弥なのだと。

何が起きたのかは分からない。だが、何らかのトラブルがあって恭弥は猫の姿になってしまったのだ。そうに違いない。

よく見れば猫の艶やかな漆黒の毛並みは恭弥の髪質とそっくりだし、若干目付きが悪いところもよく似ている。

抱き上げて頭の後ろから首筋にかけてゆっくり撫でてやると、黒猫は気持ち良さげに目を細めた。その表情は後頭部の髪を梳いてやったときの恭弥そのものだった。

間違いない、この猫は恭弥だ。

「恭弥〜どうしちまったんだよ。」
「ミャアー。」

恭弥の頭を撫でながら、ため息をついた。

恭弥は暇なのかしきりに俺の腕にじゃれついてくる。普段の人の姿の彼からは考えられないような甘え方だ。かなりうれしいし、実際めちゃくちゃかわいい。

しかし、だ。たしかにうれしいし、かわいいのだが、猫相手では何もできないではないか。

戯れにキスをしてみても、向こうは驚いて顔を背けてしまう。ディープなのをかました日にはあの鋭い歯で舌を噛み切られてしまうんじゃないだろうか。

「何で猫なんかになっちまったんだよ?」
「ニャー。」

タイミング良く相槌のように鳴くが、そもそも言葉は通じているんだろうか。猫の頭は人間と比べれば相当小さい。猫になったら脳の容量も縮んで…

「ミャァ。ミャァーッ。」

それにしてもよく鳴く。やっぱりオレの言葉に反応しているのではなくて、別の理由があるのだろうか。

手を差し延べると、小さな口でかぷかぷと指を甘噛みしてきた。人間の姿を想像するなら鼻血を噴きそうな光景だが、見た目が猫では愛らしいと以外感じようもない。

しかし次の瞬間、

「っ痛!!」

思い切り歯を立てられた。瞬間的な強い痛みに涙が出そうになる。普段から手の早いところのある恭弥のこと、不用意に手を出したオレも気が緩んでいた部分はあるかと叱りたい気持ちはぐっと堪えた。

くっきり歯型の残る指先を悲しく見つめていると、不意に視界の端に時計が入った。そういえば今何時なのだろうとデジタル表示に目をやると、12時をすっかり回っていた。

まだ朝だと思っていたのに、どうりで明るいわけだ。もう昼飯の時間だとぼんやり考えて、そこではたと気がついた。

「恭弥、腹減ってんのか?」
「ミャァ!」

これは肯定の返事に違いない。

オレは急いで備え付けの冷蔵庫を開けて、中を探った。幸いなことに瓶に入った牛乳があったので、平皿に開けて恭弥のもとへ運ぶ。ついでに自分用に、籠から林檎を一つ取った。

ベッドの上で尻尾をぱたぱたさせていた恭弥はオレが近づいてきたのを見ると、びょんと飛び下りてオレの足元に擦り寄ってきた。

「飯のこと忘れてて悪かったな。しっかり飲めよ。」

一度オレの顔をうかがうように見上げて来たので笑顔で頷いてみせると、赤い舌を出してちろちろと牛乳を舐め始めた。

なんとなく幸せな気分になりながら、オレも隣に座り込んで林檎をかじる。

「旨いか?」
「フミャァー」

猫の表情を読むすべなど知らないが、それでも恭弥はとても幸せそうに見えた。

たとえどんな姿をしていても恭弥は恭弥だ。こうして傍にいて、ときどき幸せそうな顔をしてくれるならそれで十分だ。だから恭弥がこのままずっと猫であるとしても、オレは恭弥を愛し続けよう。


ガチャ。

何の音だろう。まあいいか。


「愛してるぜ。」

食事の邪魔をするのは悪いと思ったが、それでもこの衝動は抑えられなかった。しなやかな筋肉で覆われたその小さな身体を抱き上げて、唇…は無さそうだが、精一杯の思いを込めて口づけた。


「貴方何してるの?」


そうであるはずはないのに、背後から突然響いたその声は、人だった頃の恭弥のものに聞こえた。

食事を再開したくてむずがる恭弥を抱いたまま、オレは恐る恐る振り返る。

「恭…弥?」

そこにいたのは紛れも無く、いつものように学ランを肩に羽織って不機嫌そうな顔をした恭弥。

「なんで…じゃあこの猫は?」

オレは腕の中の猫と、向こうにいる恭弥とを何度も見比べた。どちらが本物の恭弥かと言われれば当然、人間のほうだ。

「それ、赤ん坊から預かった猫でしょ。何、もうボケてきたの?」

軽く軽蔑するような口調で言われて、漸く思い出した。自分が昨日、元家庭教師から無理矢理に猫を押し付けられたことを。

「赤ん坊が引き取りに来てるから、早く返しなよ。」

冷静に考えれば、人間が猫になってしまうなんて非科学的この上ない。どうして恭弥が猫になったなんて思ってしまったのかおおいに謎だ。

「貴方人の話聞いてるの?いつまでそうしているつもり?」

いつにもまして刺々しい言葉とともに、オレの腕の中にいた恭弥…じゃなくて黒猫は、本物の恭弥の手に掬い上げられた。離れていく温もりが寂しさを誘って、オレの目は意図せず未練たっぷりに猫の姿を追う。

その延長で出会った恭弥の目は、怒っているというよりも泣きそうだった。予想外のことに戸惑い、それでもとにかく大丈夫と抱きしめてやりたくてオレは立ち上がり腕を延ばした。

「…そんなにこの猫がいいなら、いくらでも一緒にいるといいよ。」

しかし、延ばした手は恭弥に触れることなく、押し付けられた黒猫によって塞がれてしまった。

「恭弥?」
「僕のこともペット感覚だったわけだよね。本気にした僕が馬鹿だった。」

恭弥の拳は白くなるくらい固く握られていた。

明らかに様子がおかしい。ペットだなんて何をいきなり言い出すんだろう。


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