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□のみ込む言葉
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明々と部屋を照明で照らすのは好きではない。足許の行燈ひとつに照らされた畳敷きの広間は、そのほとんどを闇に包まれている。障子の向こうの夜空には月もないのか、部屋と表との境も暗闇の中では定かでなかった。

ひっそりと忍び寄るような闇を周囲にまとって、僕はとても落ち着いた心地だった。己の指先が視認できればそれで十分。ひとりきりの空間に、それ以外の世界はあるもないも同じことだ。

畳の上においた桐の盆の上には、徳利と猪口が二つ。空のままのひとつはそのままに、熱い酒の満たされたもう片方を掲げて一口啜った。ぴりりとした辛みが舌を刺し、次いで芳醇な酒の香りが鼻腔を満たす。こくりと飲み下せば、しんしんと冷え続ける冬の夜気も気にならぬほど身体の芯が熱くなった。

ほっと息を吐けば、吐息は白く具象化する。瞼の辺りがぼうっとする感覚を覚えて、僕は薄い唇に誰に見せるでもない笑みを刻む。笊か枠かのように思われている僕が、実は酒に強くないと知っている人間は、この世に数えるほどもいない。

一口、また一口と杯を空ける。徳利を傾け、橙の明かりに染まる無色の液体を再び注ぎ込む。

並々と満たされた器に今度は手をつけることはせず、僕は闇の中の空を見つめた。まもなく日付が変わる。

着流しの袂から古びた懐中時計を取り出し、温い明かりに照らしてその刻を待った。静寂の空間には、小さな歯車が擦れ合う音までもしっかりと響く。時を過ごして色を変えた文字盤の上を、細く美しい銀の針が走っていく。

ち、ち、ち、

積み上げられた刻が再び零に戻って、新しい一日が始まった。何が変わるわけでもない。ひとが取り決めたものにすぎない時間の区切りを跨いだだけで何が変わるはずもない。しかし確かに、今日という日が昨日とは違う意味を持つのだと、胸にじわりと広がる酔い以外の何かが知らせた。

この日を一人で過ごすようになって、幾年が経つのか。
満たした自分の猪口を傾け、空だったもう一つに注ぐ。

「…」

僕は口にしかけた言葉を飲み込んだ。誰の耳に届くわけでもないのならば、この冷たい空気の中に送りだしてやるのはその言葉が不憫だと思った。

盆の隣に寝かせてあった掌大の写真立てに手を伸ばす。木製の簡素な縁に飾られた一枚の写真の中では、太陽の光とよく似た髪の親子が3人、太陽のような笑顔を浮かべていた。

玉のような子供と、優しげな妻に囲まれた男の表情は眩しく、薄闇の中でもはっきりと目に映る。男の今夜の食卓は妻のとびきりの手料理で豪華に彩られる。男の帰りを首を長くして待っていた子供は、おぼつかぬ手で懸命に描いた父の似顔絵を彼に差し出す。闇に生きる男を、束の間の、そして何よりも大切な安息が包み込む。ほころぶ口元。繰り返される親愛の言葉。笑い声。

僕は写真立てを畳の上にそっと伏せた。不安定に揺れる行燈の火をそっと吹き消す。

もはや一筋の光もない、完璧な暗闇の中、僕は凛と背筋を伸ばした。存在という存在を飲み込み打ち消そうとするような黒は、僕には優しく温かい。

闇の只中で薄く笑みを浮かべた僕は、そのまとわりつく優しい暗闇までも拒絶した。








End.
(110225)

これ、誕生日とか冗談だろ…
もはやDHかどうかも怪しい。すみません;;


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