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□スウィートビター
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五ツ星ホテルの最上階、煌めく摩天楼を真正面に捉えた最高の眺望を誇る上質なレストランで、いつもより上等なスーツに身を固めた僕は彼と向かい合っていた。

黒のスーツにダークグレーのシャツを着込んだ僕とは対照的に、目の前に座る彼は光沢のある白のスーツに淡い紫のシャツ。第一声に「早速新郎みたいだね」と揶揄すると、彼は困ったように眉を下げた。

落ち着いたベージュのクロスがかかったテーブルの上に、控えめなウェイターの手によってタイミングよく運ばれてくる料理の数々はどれもおいしい。滅多に口にしないワインまでおいしく感じられるのは料理との絶妙なバランスの賜物か。

他愛ない話をしながら時折笑い合って、穏やかな時間が過ぎていく。細身のピアニストが奏でる繊細にも力強いジャズは、ひそやかに語り合う僕らの邪魔をするでなく、ただ優しく愛おしい空間を演出していた。

ふと彼の方に目をやって、器用にナイフとフォークを使いこなし、落ち着いた様子で食事を楽しむ彼の姿に僕は目を細めた。二人きりの食事で、彼が食べこぼしをしなくなったのはいつからだったろうか。定かな時を思い出せないことが、彼と過ごしてきた時の長さを教えるようだった。

最後の皿が片付けられ、水を張ったボウル状のガラスに、ガーベラと蝋燭を浮かべた飾りが四角いテーブルのちょうど真ん中に置かれる。微かに感じる程度の空調の風で炎が揺らぐたび、テーブルクロスに水面越しの火影が映った。

再び綺麗に整えられたテーブルに続いて運ばれてくるのは、飴細工や粉砂糖できらびやかに装飾された食べるのも勿体ないようなデザート。

「なんかこう綺麗だと食べて崩すのが勿体なくなるな」

そう笑う彼は、僕が思うのと全く同じことを考えていたらしい。相槌を打ったりしてそれを悟られるのはなんだか癪で、僕は否定するように豪快にフォークを突き刺した。彼は肩を竦めてみせる。僕のあまのじゃくは、とうに見抜かれている。

勢いのまま口に放り込んだケーキはそんな苛立ちも鎮めるように濃厚な甘みを広げる。思わずうっとり目を細めれば、デザートに手もつけず僕を見ていたらしい彼は満足そうに笑った。そして、長い指先で軽やかにフォークを掬い上げた。

時折探り合うような視線を交わしながら、暫くお互い無言でデザートを堪能し、半分ほど食べたところで彼がカチャリとフォークを置いた。

「恭弥」

名前を呼ばれ、僕は口の中のものを飲み下してからじっと彼を見る。笑顔を浮かべるのが辛そうな彼を見ていると、表情が強張った。彼が口にしようとしている言葉が読めてしまったせいだ。

「俺、ごめ…」
「続きを言ったら、今ここで貴方を咬み殺す」

彼が全てを言う前に、僕は釘を刺した。謝罪も慰めもいらない。そんな言葉は必要ない。

「謝られる理由もない。僕たちは始めからそんな関係じゃない」
「手厳しいな…お前らしいけど」

彼はそう笑って、苦いエスプレッソを飲み干した。曇った眉根に、こちらの胸にも靄がかかる。

いつのまにか僕の考えを相当読めるようになった彼も、完璧ではないらしい。本当に謝罪などいらないのだ。怒りゆえに拒絶しているのでも、強がっているのでもない。

いつかは来る結末と、随分前に気づいてしまった。以来抱えるのは、永遠など願ってしまった愚かな自分への嘲りでしかない。

何度浮かんだか知れない自嘲をコーヒーで飲み下して、僕は彼に微笑を向ける。

「それで、式はいつなの?」
「6月だ。女性はジューンブライドってのに憧れるもんらしい」

さっきまでの神妙な表情は放り出し、おどけて肩を竦めた彼、にふーん、とだけ答えて、僕は最後に残してあったチョコレートムースを一口、口に運ぶ。

甘すぎない生クリームと苦みのあるチョコレートソースの味は、デザートとしては迫力に欠ける気がした。どうせコースの最後をしめるなら、ただひたすらに甘ければいいのに。

「恭弥」
「ねぇ、もちろん僕にも招待状くれるよね」

努めて挑発的な笑みを浮かべて、僕は目の前の男を見つめる。

彼は一瞬驚いたように飴色の瞳を見開いた。しかし、すぐに苦笑混じりに眉を下げて、大きく頷く。

「招待状、送るよ。だからとびっきりおめかししてきてくれよ」
「気が向いたらね」

大きくはないテーブル一つ挟んだ距離。この距離がこれ以上縮まることは二度とないのだと思うと、少し気分が重くなる。

互いの間に空間など存在しないかのように交じり合ったことなど、幻のようだ。

目頭に込み上げる感覚を否定して、僕は空になった皿を残して立ち上がる。

「そろそろ行く。僕も暇じゃないからね」
「あ、待てよ、恭弥!!」
「じゃあね」

軽く笑みを浮かべて、僕は歩き出す。紅い絨毯の上を大股に。

花嫁の手を離す父親はこんな気分なのかもしれない。

僕はただただ。



悔しくて堪らなかった。







End.
(101221)

やっぱりただの強がりだった。


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