2


□aitai
1ページ/1ページ





会いたい気持ちに理由なんてない


勝手に耳に流れ込んできた日本語に僕は苛立ちを隠せなかった。流行の歌だか知らないが、その無責任な断定が、ついさっき頭を過ぎった血迷ったとしか思えない自分の思考(「あいたい」)を肯定していることがとんでもなく不愉快だ。店内に響くBGMから逃れるように、僕はCDショップを後にした。

自動ドアを通り抜けた途端、ここ一週間で本格的になってきた真冬の空気に襲われる。シャツに学生服を羽織っただけの身体には厳しい。この寒い時期に学校にマフラーを忘れてきた自分を呪ってもこの寒さがどうにかなるはずもなく、せめて早く暖のとれる場所へと僕は歳末の雑踏で賑わう街を大股に通り過ぎた。

頭上に広がる鈍色の空はどんよりと重く、今にも白いものがちらつきそうだ。雪が降る、と無邪気に喜べるような年齢は疾うに過ぎてしまった。今はただ、その寒さが煩わしいばかりだ。

この雪でも降り出しそうな寒さがいけない。氷点下に近付くほど、この身の傍らにぬくもりがあればと愚かな思いを抱いてしまう瞬間が増えていく。そんな自分自身も、もちろん身を切るような寒さも、どちらも大っきらいだ。

ほとんど駆け足に近い速度で家路を辿ったおかげか、雪に降られることなく自宅に辿りついた。純和風の門構えに不似合いにも、瓦屋根の門の下にはきらびやかなクリスマスリースが飾られている。庭師の趣味なのだろう、毎年のことに特に気にも留めず、僕は無言のまま足早に自室を目指す。

屋外よりは随分ましとはいえ、人気のない邸内の空気は冷え切っている。靴下越しにも板張りの廊下は冷たく、せり上がってくるような冷気はいっそ靴を履いて外に突っ立っていた方がまだ身体は温かいのではないかとさえ思わせる。寒さから手をつっこんでいたポケットの中で無意識に携帯をまさぐっていたことに気付き、僕は小さく舌打ちした。何を期待しているというのか。

会いたい、だなんて。冗談じゃない。

こんなおかしなことを考えるのは、すべてこの寒さのせいに違いない。今日に限って手袋をしていなかったし、マフラーは応接室に忘れてきた。肩にかけた学生服の下はシャツとアンダーそれきりだ。前を閉めると格好がつかないから、冬でも学ランの時は羽織るだけ。そもそも、今朝の天気予報はこんなに寒くなるとは一言も言っていなかった。

冷え切った鼻先は痛いほどで、反射的にすすりあげる。

部屋に入ったら、暖房を効かせてホットココアを飲もう。エアコンが効き始めるまで暫くは寒いだろうから、ベッドに脱ぎっぱなしにしてきたカシミヤのカーディガンを羽織ればいい。そうして身体が内からも外からも温もれば、あの男に会いたいだなんてそんなことを考える惨めな自分もどこかへ消え失せるだろう。

気付けば自室の前。僕は計画を実行すべく勢いよくドアを開けた。

「あ、おかえり、恭弥」

するはずのない声に、思考が停止する。ほわんと暖気が漂う温まった部屋、テーブルの上にはほかほかと湯気を立てるカップが二つ。香ばしいカカオの香りで、僕はそれがココアであると知る。そして、ベッドに腰を下ろして横文字の新聞を手にしている金髪の男。

「寒かったろ?て、おまえなんでそんな薄着なんだよ!風邪引くぞ。ほら、これ着ろよ」

そう言って立ち上がった男は、手際良く僕に淡い色のカーディガンを着せていく。流れのままに温かい大きな両手が僕の頬を包む。首を上げて見上げれば、満足気に「よし」という男。

僕は反射的にその秀麗な顔面を殴りつけていた。

「っぶね!いきなり何すんだよー」

すんでのところで僕の握り拳を躱した男は、後ろに尻もちをついたままの態勢で抗議の声を上げる。

「あ…勝手に上がったこと、怒ってのか?悪かったよ。だってこの時間じゃ学校行っても入れ違いになっちまうと思ってさ、家の方が確実だろ」

そう言って、蛍光灯の下キラキラする金の髪を掻き揚げる。その仕草は様になっていて、嫌いではない。

「恭弥?」
「…どうして」
「日本、寒くなるって聞いてさ。おまえ、寒い思いしてねぇかなと思って、気付いたら飛行機乗ってた」

温かい空気と、甘いココアの香り。苛立ったまま凍りついていた気持ちが急速に解けだしていくのを感じる。

「まあ、なんだ。恭弥に会いたかった。そんだけ」
笑う、男。

会いたい気持ちに、理由なんてない?

僕は目の前で目尻を下げる男にばれないように、口の端を微かに上げるだけの、密やかな笑みを作った。

僕は「寒さのせい」だなんて理由をつけたってその気持ちを認めることはできないけれど、僕が惑う必要はないのだ。この男は僕の竣巡を簡単に終わらせる。

「ねえ、ココア冷める。飲むよ」
「…ああ。どうぞ、召し上がれ!」

ココアのカップを手にすると、固まっていた指先にも血の気が通い始める。

ふと見上げた視界に窓の外が映り込んだ。ちらちらと舞う、白いもの。

「お、降ってきたか。積もったら雪だるま作ろうぜ!」
「寒いからいやだよ。まあ…完成したのを見に行くぐらいはしてあげてもいいけどね」

今年も、雪が降る。






End.
(101212)

きっと寒いの嫌いだと思うんだ。


[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ