Blanches fleur

□ウタウタイ。
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彼は――いや、彼女は鼻唄を唄っていた。
殊更上機嫌というわけでもなく、癖のように唄いながら廊下を歩いていたのだが、一室から透き通った歌声が聞こえて足を止めた。
ドアに打たれた『Elesia』というネームプレートをじっと見つめる。

「え…えれ…える…『エルシア』?」

こんな綺麗な声なのだから、きっと本人も可愛い子に違いない。
余り深く考えずにドアノブを回した。

「...Dey fi la fal-tes, nan fiz da――…おにいさま?」

柔らかな笑顔と共に振り返る白髪の少女。
窓から迷い込んだ風が、ふわりとエルシアの髪とシフォン地のカーテンを舞い上げた。

「あっ、やっぱかわいい!」
「…だれ…?」

琳が声を上げるのと、エルシアが恐怖で顔を歪めるのはほぼ同時だった。

「…っ!」
「俺、琳っていうんだ。よろしくね」
「や…いや、こないで…おにいさま…たすけて…!」
「怖くないよ、大丈夫だよ」

蒼い瞳を見開いて震えるエルシアの言葉は琳には正確に届かなかったようだった。
琳がもう一歩足を踏み出した瞬間、エルシアが絶叫する。

「いやああああああああああああああッ!!!」

その高い声は物理的な重みを持っているかのように琳の大きな体を吹っ飛ばし、鼓膜を傷つけ、三半規管を麻痺させた。





「あれは…」

庭でエルシアの部屋に飾る花を選んでいた累は、微かな声を捉えて眉間に皺を寄せた。
間抜けな新米執事が誤って入っただけならいいが、善からぬ輩が入り込んでいたら、と最悪の事態を想像する。
瞬間的に血の気が引いて走りだす。

程無くして彼女の部屋に辿り着いた。

「エルシア!」
「いや…いやぁ…!」

自分を抱き締めながら震える彼女に駆け寄ると、累の手をも振り払おうとした。

「エルシア、よく見なさい。私です。累ですよ」

言い聞かせるとエルシアは濡れた瞳をそちらに向けた。
きちんと自分を認識したようだと一息つく暇もない。
過呼吸を起こしかけた彼女の息は荒く、彼は慌てて紙袋を彼女の口許に宛がった。

「エルシア、ゆっくり息をしてください」


彼女の息が徐々にゆるやかになっていく。
やがてエルシアの呼吸が完全に整ったとき、彼女の瞼は降りていた。

エルシアの体をベッドに横たえると、傍で伸びている姉を揺り起こす。


「姉さん、…大丈夫ですか?」
「うー…」

頭を抱えながら体を起こした琳の耳は辛うじて聞こえているようだった。

「あれほど入るなと言ったでしょう」
「ここだとは思わなかったんだよう…」
「全く…立てますか?」
「立てないー…」


盛大に溜め息をつきながら、累は彼女に肩を貸した。


――そして、黄昏の館に再び静寂が戻る。




すぐそこまで、夜が迫っていた。

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