◆サプリメント◆

□【0日目】
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──母は強し、とはよく言ったものである。






夏休みを終えた八月下旬だというのに、気温はまだ常夏のように暑かった。
扇風機の風だけで意識を保って、黒板の字を追う生徒諸君。
それに比べ、冷房機器が備わっている生徒指導室で優雅にティータイムとは、俺はなんて幸せ者なのだろう。

効きすぎて鳥肌が立つのはさておき、茶菓子に出された煎餅は美味い。使い古した湯飲みの中の緑茶は、脳みそ筋肉族の体育教師が入れたとは思えないほどの繊細な味だ。

あぁ、最高。最高にいい環境だ。

俺のお隣で、女神の薄皮一枚かぶって鋭い殺気を放ってくださる般若様、もとい我が母上様が存在しなければ………の話だが。


「本当に申し訳ございません。この度は、なんと言って良いものか……」


しきりに困った表情を偽造して、般若様が涙を流した。

身内で言うのもなんだが、この方のお顔はたいそう綺麗だ。それこそ、俺と血がつながってんのか、と疑いたくなるほどに。

長いまつげに縁取られた大きな瞳は吸い込まれそうな魅力を放っているし、口紅を塗っていないのに赤い唇は思わずキスしたくなる。日に焼けない体質で真っ白な肌、細い手足、華奢な身体。それなのに出るところは出ているなんて詐欺だ。男の理想が服を着て歩いている。
居間で昼寝している姿なんて目撃した日には、ついうっかり母親相手にときめいてしまうものだ。
外見を裏切ってくださる内面を知っているから、手を出そうなんて塵ほどにも思わないが。

そんな可憐な女性に潤んだ目で見つめられ、独身男はへらっとだらしない顔で手を振った。


「いいんですよ。若さゆえの暴走といいますか、彼だって反省してますから」
「ですが、相手の生徒さんは病院に運ばれたんですよね? やはり女手一つで育てた私がいけなかったのかしら……」


大きな瞳から一粒の涙が流れる。それはさながらテレビドラマの女優のように。くしゃっと顔を歪めて泣くのではなく、お綺麗な顔はそのままで涙を流す荒技。

さ、さすがだ、マイマザー。そんな泣き方をされたら、なんとかしてあげたいって男ならそう思ってしまう。

案の定、哀れな犠牲者が「大丈夫」なんて言いながら、馴々しく母上様の両手を握った。

いったい、何が大丈夫なんだか。


「泣かないでください奥様、瑞樹〈ミズキ〉君だけが悪いわけではないんです。殴られた生徒は、どうやらカツアゲをしていたみたいで、いわば自業自得です!」


教師のほざく台詞じゃないと思うのは、俺だけだろうか。


「ですが……」
「いいですか、彼はとても偉大な行動を取ったんです。一人で悪に立ち向かった。これはまさに表彰ものですよ」


いや、たかがカツアゲしたぐらいで病院送りにさせられては、割りに合わない気がするのだが。

しかし周りを見渡せば、うんうんと頷く教師陣。この先の教育方針が気に掛かるところだ。


「だから大丈夫です。瑞樹君は退学になったりしませんよ」
「本当ですか? 良かった」


ほう、と安堵の息を吐き、母は嬉しそうに微笑んだ。その笑顔にやられた体育教師は、情けないぐらい鼻の下を伸ばす。

相変わらず、すごいお人だ。可憐な容姿をフル活用して、相手を意のままに操る。母上様は、今世紀に現われた魔女に違いない。  

とりあえず、一見落着。柱に備え付けられている時計を見るに、十二時五分過ぎ。お昼を食べるのに、丁度よい時間だ。


「話はまとまったよね? んじゃ、帰ろっか」


お腹もすいたし、なんて声をかけたが運のつき。

半径一メートル以内でしか察知できなかった母上の殺気が、一気に膨れ上がった。室内の温度が五度は下がる。


「……ちょっと待ちなさい」


先程までか弱い雰囲気だった女性が、ドスのきいた声で話し、愛する息子にガンを飛ばしてくる。瞬時の変化に、生徒指導室内の教師は固まった。

可憐な大和撫子が般若だった事実を、受け止めきれなかったのだろう。


「……ってか、ここにいんの、みんな男じゃん」


だから、母上の魔力にかかった体育教師の意見に、反論する人がいなかったのか。相手が不良だからといってリンチを認める先生ばかりでは、我が校でバトルロワイアルが開催されるもんな。

なんて間抜けなことを考えながら室内を眺めていたら、後頭部に強烈な襲撃が走った。
座ったままの体勢で、机と俺の額が運命的出会いを果たす。


「いって……」


おでこを押さえて呻く俺の後ろ襟を、誰かが引っ掴んで持ち上げる。
絞まる首元に急いで手を入れて呼吸確保。文句の一つでも言ってやろうと身体を捻った先にいたものは、般若様の恐ろしいご尊顔が。






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