■デジモン小噺
□[あの君]一乗寺兄弟
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兄さんが最後に笑ったのはいつだっただろうか。
泣いたのは、いつだっただろう。
恐らくその2つの事を、僕はこれからも思い出せやしない。
[あの君]
ただひたすらに勉強机に向かう兄さんは、いつ、僕から離れて行ったんだろう。
「賢ちゃん、お友達からお電話よ」
遠慮がちに掛けられる母さんの声。当たり前、がなかった僕らの家では凄く不自然な響
き。
「…あぁ、本宮」
お友達から
お電話、よ
お友達、から。
耳に優しくなじむ彼の声は、とりとめもない日常やテレビの内容を楽しそうに聞かせてく
れる。
「−今日もタケルの奴…」
「−算数のテストが…」
ボリュームは普通なのに、本宮の声は本当によく通って、リビングの隅にまで話しの内容
を届けてしまう。
本宮の叫ぶ度に、洗濯物を畳む母さんが顔を綻ばせる。
このよく響く声は、僕の部屋まで届いているのだろうか。
僕と、治兄さんのものだった部屋まで。
「じゃ、土曜日忘れんなよ!」
軽快な声が、僕のためだけに向けられる。あれ…?僕は何を考えていたんだっけ。
シャボン玉が弾かれたように、僕の頭の中は真っ白になる。
これは、デジモンカイザーから戻った頃からずっと。
返事のない僕に、不安げな声が掛けられて、慌てて返事をし受話器を置いた。
…治、兄さん。
途端に、無機質なニュースキャスターの声だけが部屋に広がった。
見飽きる程に繰り返されるVTR。被害者の家族が、悲しみの鳴咽を漏らす映像や事細かな
家庭事情を流す。
犯人が捕まった後は、不憫にすら思うぐらい素っ気ないくせに。
「相変わらず、にぎやかな子ね」
電話の前で佇む僕にきっちり揃えられたタオルを手にした母さんが話し掛ける。
「土曜日に、お出かけ?」言いながら、細い指先で器用にチャンネルを変える。何でもな
いかのように指一本で消されてしまったニュース。
今は、下らない芸能人の討論を映すテレビ。
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