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翌日、城門の見える建物の陰で、絳攸が登城するのを待つ。半刻程そこで過ごしていると、門兵に耳打ちをされている絳攸に気付いた。苦虫を噛み潰したような絳攸と目が合うと、俺はニヘラと笑顔で手を振ってから、背を向けて歩きだした。
事前に門兵に伝言を頼んでいたので、絳攸は大人しく俺の後を付いてくる。その後ろに付く小柄な少年と熊には気付かれない様、かなり距離を開けての誘導だった。別に一緒に横に並んで歩いても良かったが、いつもは気にしない絳攸の矜持に気遣ってやった結果だ。絳攸の方向音痴っぷりを知る人間が増えた所で何ともないが、やはり面白いことはひっそりと楽しみたい。ぷるぷる怒りに震える絳攸は本当に可愛いのだから。クスリ、とこみ上げてくる笑みを隠さず、俺は戸部を目指した。
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あれから数日が経った。戸部尚書付きの助っ人の働きぶりは、すこぶる良いらしい。あの尚書の下で数日間も働けていることも相まって、宮中ではもっぱらのウワサとなっていた。
あの鳳珠が、だ。雑用とはいえ、侍僮を使っているのが不思議だった。それだけ彼の力を認めているのだろう、と鳳珠が手元に置いておく人材に興味を持った。
そう言えば、静蘭にも会っておくように言われていたし、暑いし、暇だし、ということで、ウワサの侍僮に会いに行くことにした。
「サボるなら余所へ行け。目ざわりだ」
戸部尚書室の扉を開けるや否や、書簡からは目を離さずに鳳珠が冷たく言い放った。
「雑用なら手伝うからさー、ここにいる許可を頂戴? ウワサの侍僮に会いに来たんだ」
そう告げると、キョトン、とした目を向けられた(相手は仮面をしているから推測だけど)。
「え? 何? 俺の知ってる子なの?」
そんな鳳珠の視線を受けて問うと、綺麗さっぱり無視された。でも、もう出て行け、とは言われないので許可がおりたと判断し、その部屋にいて出来る雑用を片付け始めた。
それから一刻程した頃、与えられた仕事を片付けた少年が次の雑用を貰いに尚書室に顔を出した。その少年と目があって、正直かなり驚いた。こんな所で会うとは全く思っていなかった人物――秀麗がいたのだから。それでも俺はその驚きを内心だけに留めておく。俺の姿を認めた秀麗も一瞬驚いた表情をした後、一気に顔色が悪くなりアワアワとしだした。鳳珠は特に気にすることのなく無言で仕事を片付けていく。その態度に世間話を許してくれるんだと、感謝して、俺は秀麗に笑顔を向けた。
「君がウワサの侍僮くんだね。初めまして。俺は瞑夜。よろしくね」
秀麗に気付いていない振りをして手を差し出す。秀麗はあからさまに安堵の表情を浮かべて俺の手を取った。
「初めまして。紅秀と申します。あの……瞑夜、さんって、戸部の方、なんですか?」
「いや、違うよ。ただウワサになるほどよく働く君に会いに来ただけ。この仕事、楽しい?」
「はい!」
「そう。それは良かった。それじゃこの後も頑張ってね」
俺の問いに即答し笑顔を向ける彼女の頭をわしゃわしゃと撫でて、鳳珠へと視線をやった。
「話は済んだか、瞑夜。こっちの書簡をまとめておけ。で、紅秀。手が空いたのならこれらを礼部に持って行け。その際“こんな穴だらけの見積もりを出すなんて頭禿げてるのか、お前は”と伝えておけ。それから府庫でこれらを返して続き三冊を借りて来い。以上」
「うわー、容赦ねぇ」
「うるさい。お前は黙ってそれを片付けろ。どうした、早く行け」
「は、はい!」
俺の言葉に呆然とした秀麗が我に返って一礼すると必要な書簡を持って部屋を後にした。その後ろ姿を見送って、俺は再度口を開く。
「いっつもあんな感じで仕事与えてんの? それでもあんなに楽しそうな顔すんの? っつーか何で秀麗が侍僮やってる訳?」
「私が知るか。口より手を動かせ」
「俺はもう目的果たしたのに仕事与えるなんて酷いよ。しかも雑務に限定したはずなのに、コレ、おもっきり重要書類じゃん。全然雑務じゃねーじゃん」
ブツブツと文句を言いながらも手伝ってしまうのは、この部屋を借りた手前、鳳珠には強く出られないからだ。
「もう一人、おそらく茶州州牧もいるぞ。そっちはいいのか?」
「茶州州牧? あの特例だらけの準試にも通ってないのにここ何年も静かな、茶州の州牧を務めてるっていう?」
人々の意識が向かないくらい静かな茶州。忘れられる程、その地では功績を上げている、ということだろう。
こくり、と頷く鳳珠に言葉を続ける。
「あまり重要でない仕事なら手を貸すよ」
そんな州牧への興味の方が強かった俺は、そのまま戸部に留まることにした。
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かれこれ半日が過ぎた。鳳珠に謀られたのだろうか、と嫌な予感が強くなってきた頃、その男が現れた。
「黄尚書、こっちは片付きました。で、こっちが各部から預かって来た書簡です……って来客中?」
熊。
髪はボサボサでヒゲで大柄なその男の第一印象はそれだった。これが茶州州牧? キョトン、とした目を向けると、ちょうどこちらを向いた男と目が合った。その男の顔に、見覚えのある十字傷……。
「もしかして燕青か?」
俺の呟きに、その男も俺の顔を凝視する。そしてそのまま俺の元へ寄って来る。
「お前……“瞬”か?」
「……今は“瞑夜”ね。久しぶり、燕青」
「まさかお前にまで会えるなんてなー。姫さ……秀に付いて来て正解だったな」
燕青はわしゃわしゃと俺の頭をかき回す。その笑顔はあの時から変わることなく、心が暖かくなるものだった。
「瞑夜、燕青」
そんなほのぼのした空気を払拭する鳳珠の声。そうだった。ここは戸部尚書室だった。
俺はちょうどやり終えた仕事を鳳珠に返す。
「ほう……黄尚書。協力ありがと。燕青、今度尚書がいない所でゆっくり話そうぜ。じゃ、俺はこれで」
次の仕事が与えられる前に、俺はあっさりその場を後にした。
静蘭が会っておけ、と言ったのはおそらく秀麗ではなく燕青だろう。“見て楽しめて、でも後悔するもの”。静蘭の表現は実に的確だった。しかも、あの燕青が茶州州牧とは。そりゃもうびっくりだ。あいつが“文官”だってことが。
そんなことを思いながら、静蘭に報告しておこうと米蔵方面へ足を向けたが、例の賊退治に駆り出されていて不在だった。仕方なく吏部へ戻ると絳攸と修ちゃんの表情が凄いことになっていたので、そのまま回れ右をして見なかった事にしておいた。戸部の仕事を半日以上もやったのに、その上吏部の仕事なんて無理。まっぴらごめんだ。定刻まで昼寝でもしていよう。そして俺は庭院に足を向けた。
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