甘い水
□睡葬
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「この七十年はあっという間でした。老後はのんびり過ごそうと思っていたのに、結局、駆け足みたいになってしまって」
残念でした。と彼は紡ぐがしかし、その表情はどこまでも穏やかで、言葉とは裏腹に満ち足りているのだと少年は悟った。
「ふふ、君らしいじゃない」
少年は円やかな白い頬をくっ、と持ち上げて喉を鳴らした。
猫のような仕草は、男性が知る頃から変わらない。
「はは、僕もそう思います」
男性も一つ笑う。
結局、悔いはないのだと。笑う。
「ああ、でも流石に疲れました」
それでも満ち足りた表情のまま、彼は、ほぅ、と一つ息を吐く。
「うん」
少年は額に掛かる白髪をそうっと払う。
年輪のように重ねた皺が露になった。
「なんだか、とても、良い夢が見れそうな気分です」
ゆっくりと静かに閉じられていく目蓋。
檸檬色をした瞳が彼の顔から消えて。
「うん」
重なり合った筋に指を滑らせて、幾度も愛でた。
「あなたと、あなたと共に歩めて、幸せでした」
また、一つほぅ、と息を吐く。
先程よりは長めに吐き出されたそれは、細くなり、細くなり。
そして、…静寂。
それは、彼の時が止まった瞬間。
「お休みなさい」
彼の人に安息あれと、少年は微笑った。
額の皺に口付けを落として。