庭球:CP


□胎内回帰願望
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「…慈郎。」
元々自由奔放に撥ねる金髪を広がらせ、芥川慈郎は枕を抱えて座っていた。
読んでいるのは昔好きだと言っていた少年漫画で、それも大分前にもうマンネリ化してきたと見せられた新刊なのだから、本当に外へは一歩も出ていないのだろう。
部屋は俺の耳にも慣れた曲に溢れていて、この空間は閉鎖され唯慈郎の為だけにあった。
こんな場所に足を踏み入れれば、担任から掛けられた言葉が尚更重くのしかかる。
それでも無理矢理唾を飲み込み、言葉を紡いだ。
「…学校、来ねぇのか?」
慈郎はやっと顔を上げ、その薄い茶色の瞳に俺を映す。
「行かないよ。」
だって、と慈郎は珍しくそれ以上の言葉を繋いだ。
「学校なんか行ったって怠いし、しんどいし、意味なんてあるとは思えないし。…飽きちゃった。」
それきり、また漫画に視線を戻す。俺が訪れても、大抵の場合慈郎はこんな態度だった。
慈郎らしいと言えば慈郎らしい言葉で、だからこそどうしようもないことに気付かされる言葉だ。
昔から、こいつはそうだ。
動く理由は楽しいのか、そうじゃないのか、面白いのか、面白くないのか。
善悪など分からない子供のようで、それでいて自分の害になるものは本能的に拒絶するのだから厄介だ。
俺は慈郎が飽きないよう、飽きたら他のものに手を出せるよう、細心の注意を払ってきた。いつからそうなったのか記憶は定かじゃないが、そうでもしないと繋ぎ止めておくことなど到底無理なのだ。
芥川慈郎という男は、地面に足を付けて歩くということが芯から出来ない人間だった。
…それでも、今までは何とか繋ぎ止めることが出来ていたのだ。興味の沸きそうなものを目の前に差し出すなり、一度興味を示したものを少しでも長続きさせるなり。
そのやり方が間違っていたとは思わない。
そうでなければ、慈郎はもっと早く、これよりも更に遠い場所へと行ってしまっていただろう。
だが、今度ばかりはもうどうにもならない気がした。
そもそも、いくら他の人間よりは融通が利くとは言え、俺たちはまだ中学生、義務教育を受けさせられる身なのだ。
どんなにここから逃げ出したい、このままずっとこうしていたいと願っても、叶うことなどまずはない。
この部屋にいる限り、慈郎は慈郎以外の何者でも有り得ない、単なる個体だった。
そこから出たくないという気持も、あながち間違ってはいないと思う。
外に出ればたちまち大人という存在が身を縛り付け、子供という性質が彼を苛立たせるのだから。
そこまで考えたところでピ、という機械音に思考を遮られた。
見れば、慈郎が傍らにあったリモコンでコンポを操作している。
数秒の後、青白い光とアップテンポな音楽を放出していたそれは無機質な匣へと戻った。
「…やっぱダメだね。」
慈郎の方から話しかけてくる。珍しい、今日は何か変わった気でも起こしたらしかった。
「何がだよ?」
ゆっくり、慈郎の目を見て尋ねる。
この茶色の瞳は、こんなに揺れるものだっただろうか?
「飽きちゃった。久しぶりに聞いたら何か新しい発見でもあるかと思ったけど。何もない。」
子供っぽい仕草でリモコンを放り投げたが、その実慈郎は大人よりもずっと思考しているだろう。
考えすぎなのだ。
思考し、思考し…やがて、飽きてくる。
慈郎に言わせれば『世の中ほど矛盾したものなど他になく』、『学校はその凝縮版』なのだそうだ。
たしかに矛盾していると感じることは多々ある。
だが、それを説明することは難しく、たとえ出来たとしても大人たちは理解しないだろう。
…いけない、引きずられている。
そう気が付き、慌てて意識を引き戻す。
慈郎の言うことはあながち間違っているとは思えず、隔絶されたこの空間では、それが全てだとすら感じてしまう。
だからこそ、俺は成果がないと知りながらもここへ足を運ぶのかも知れなかった。
「跡部、あのさ。」
不意に掛けられる声。
本当に今日の慈郎はどうしたのだろう。
淡い期待が首をもたげた。
「何だ。」
「どうして付き合ってられるの?」
何と?
その問いはきっと愚問で、それでも口から出そうになるのをぐっと堪えて慈郎に答えた。
「…子供だからだろ。」
付き合っているのではない、従わされているのだ。
そう言えば慈郎は尚更不機嫌さを増し、俺はそれに当たられる羽目になるだろう。
「……そっか。」
慈郎は妙に納得したという風に頷き、それから顔を伏せた。
「帰りたいな」
何処にとは訊かなかった。
その言葉になら、真実俺も頷ける気がした。
此処ではない何処かだ、それはきっと。



「…そうだな。」

子供も大人も、
何もない場所へと還りたい。
そう考えることなら、俺にも出来るだろう。





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