庭球:CP


□サヨナラに始まる僕ら
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校舎の前は卒業して行く先輩たちと別れを惜しむ後輩たち、保護者などでごったがえしていた。
俺はその人混みの中をかきわけながら、目当てのただひとりの先輩を探す。
やっと目に入った先輩は、他のテニス部の先輩たち固まり、談笑していた。その輪の中には越前や桃城といったヤツらも見受けられる。俺はそっと後ろから近付くと、乾先輩の肩を叩いた。
「…やぁ、海堂。一週間ぶりだな。」
「乾先輩。ちょっといいすか。」
先輩は小さく微笑むと友人たちの輪を離れた。
「待ってたよ。悩ませてすまないね。」
この一週間、俺は悩み続けた。
乾先輩から告げられた言葉に、どんな答えを返すのか。
先週のちょうど今日、乾先輩は俺に衝撃的な言葉を告げた。

『…海堂。好きだよ。』
久しぶりに並んで歩く帰り道、それはあまりにもさらりと言われたものだから、最初は普段と同じく粋狂なデータ集めの為の悪戯なのだと思った。
だから、俺も『…はぁ、俺も好きっすよ。』
と適当に返した。
だが、乾先輩は固い、真面目な声で言葉を続ける。
『海堂、俺は真剣だ。後輩や部活のメンバーとしてじゃない、恋愛対象として好きなんだ。』
正直、戸惑った。
どう返答していいか分からない。
確かに乾先輩は俺の一番近い位置にいて、他の奴らより心を開いている自覚はあったし、いろいろと感謝してもいた。
だが、それは多分…乾先輩のいう感情とは違うだろう。
女子とも付き合ったことがない俺には、ましてや男同士の恋愛なんて分かる訳もなかった。
「…」
黙り込む俺の言葉を、静かに待つ乾先輩。
それでも沈黙は続き、やがて乾先輩は見計らったように口を開いた。
「…悪かったな、海堂。戸惑わせてしまった。」
その言葉はいつもと同じ起伏のない声色だったが、俺には少しの哀しみが混じっているように感じられ、すまない気持になった。
「一週間後、卒業式の日に答えを教えてくれ。」
乾先輩はもう一度すまないねと繰り返し、そこで別れた。

それから、一週間。
俺は未だはっきりとした答えを見い出せないまま、乾先輩を前にしていた。
乾先輩に何かを伝えたかったが、自分自身、それが何なのかを見付けられずもどかしい。
そんな感じだった。
「乾先輩…」
俺は一度そこで言葉を切ると、少し躊躇った後言葉を続けた。
「…アンタには感謝してる。俺みたいに無愛想で、他人とコミュニケーションも取れねぇ後輩なんか気に掛けてくれて…嬉しかったっす。……でも、これはアンタが望む気持とは多分違うんだろ?」
言葉は思ったよりもすんなりと口から出る。
分かっていた筈なのに、紡がれた自分の言葉で先輩が今日卒業することを実感した。
「…海堂、」
俺の名を呼ぶ乾先輩の声はいつになく哀しそうで、言葉の続きを聞きたくなくなる。
俺は思わず、衝動的にこんな言葉を口にしていた。
「……さよなら。」
先輩が卒業すればもう一緒に帰ることも練習をすることもないのだと思うと、いたたまれなかった。
…少し、寂しく思った。
俺にとって、いつのまにか乾先輩はそんなにも大きな存在になっていたんだ。
「…アンタのこと、人間として尊敬してましたよ。」
俺はふとそんな言葉を漏らして、顔を先輩から背けた。
もう多分、会わない。
そう思ったから。
だが乾先輩は珍しく困ったように眉をしかめ、俺に向かってこう言った。
「…まずいな、海堂にそんなこと言われたら諦めがつかなくなる。」
そこで一度言葉を切って、先輩は続ける。
「…一瞬だけ、そうしててくれないか。」
そう言った乾先輩は酷く辛そうな顔をしていた。
「いいっすけど、」
何すか。そう言おうとした次の言葉を、俺は失った。
抱き締められていたからだ。
乾先輩に。
…何故か、抵抗することも何かを口にすることも出来なかった。
一瞬の後、先輩は俺から離れるとずれた眼鏡を元の位置に戻す。
もういつもの表情に戻っていた。
「…本当にすまなかったね、海堂。ありがとう。」
先輩はそれだけを告げると俺に背を向け、去っていこうとした。
痛いくらい、先輩が俺を想ってくれる気持が分かった。
もう会えないかもしれないことが、予想以上に悲しかった。
「乾先輩!」
気が付くと俺は先輩の腕を掴み、乾先輩を引き留めていた。
「あ…」
自分でも自分自身とった行動に驚く。
こんなに誰かとの別れが辛かったことなど今までなかった。
「…すんません。」
俺は掴んだ腕を放し、俯いた。
どうすることも出来ない。
今日で乾先輩はこの学校を去っていく。それだけだった。
振り向いた乾先輩は少し、嬉しそうな顔をしていた。
「…本当は諦めるつもりだったんだ。俺はこんなだし、しかも男だからな。海堂が受け入れてくれる筈もない、って。だが…我慢出来なくて、賭けてみた。海堂が少しでも俺を受け入れてくれれば…拒絶さえされなければそれでいいと。だが…予想以上に海堂は俺のことを考えてくれたし、そのことがとても嬉しかった。」
だから。
自分勝手だが…
そう前置きして、乾先輩はこう言った。
「あと少しだけ、俺にチャンスをくれないか?」
「…、いいすよ。」
それだけしか言うことは出来なかったけれど。
きっともう、自分はもうこの瓢々として訳が分からない、そんな先輩に惹かれている。
そんな気がした。
この人なら、いいと思ったんだ。



―俺たちの上に、淡い色の花びらが降り注いでいた。



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